知佳の美貌録「望まれなかった子」
ようやくこの街にも弥生の温かさが巡ってきた春の日の午前、近くのスーパーから自転車に これでもかというほど荷物を積み込んで自宅に向かうOLスーツの女性がいた。久美である。
「急がなきゃ。時間が無い!」帰り着くと万年床の如く敷いてあった布団を押し入れに仕舞い掃除を始めた。
「先生は確か今日だと言ってた」顧客訪問中から微かだが鈍痛が腹部を襲っていた。陣痛だった。
「出たいんだ・・・待っててね今片付け終えたら用意して向かうから」
勤務先の誰もが気づかないほど妊娠しても体重は増ずしたがって腹部のふくらみも目立たなかった。だから食が細いとはいえまさか彼女が臨月を迎えていたとは思わなかったであろう。
出産予定日はとっくに過ぎていた。
それでもこうやって働いていたのは親戚、つまり旦那の郷から産むなと念を押されていたからで、それに逆らってまで産むからには誰にも助けを借りるわけにはいかなかった。
ただでさえ家計は火の車なのにである。
家事全般はたとえ働いていても怠りなくやりこなした。だが夫婦生活は断らざるを得なかった。そのことが気に食わないらしく旦那はまともに仕事をしなくなったようだった。
ようだったというのも、旦那は実の兄にやとわれ土工をやっていたからだ。
その現場で一向に働こうとしないという。
家内工業で一方が働こうとしなければ上りは当然目減りする。そこに飲んだくれの実の父親が金の工面に押しかける。
稼ぎの無いものから金の無心、それも頻繁に来た。
追い払ってくれるはずの旦那は思慮分別が世間一般の男と比べると決定的に欠けていた。
にもかかわらず旦那は郷で実母に告げ口した。
洗濯ものを干せだとかゴミを出し手とかである。「まぁよくも男に向かってそんなことを!」顔を合わせれば小言を言われた。
旦那の夜の伽もせず家事もろくろくしない飲んだくれの父を持つ久美に子を産む権利などあろうはずがない!堕ろせと再三にわたって旦那の母から面罵されていた。
お腹の子はなにもコウノトリが運んできたわけでも他人棒に欲情し出来たわけでもない。
旦那はおつむが足りない分飲んで気持ちが昂揚するとただただ後先考えず夫婦生活をしたがる。我が子の気配が二階から聞こえるようなときでものしかかったりする。挙句孕んだから夫婦生活は短期間無しにするとか、ましてや臨月は避けるなどという気遣いはさらさらなく、更に子育てで優先順位が子供のことが先にとかなると、途端に拗ねたようなそぶりをみせた。
母親にそれほどひどいことを言い付けておきながらどんなにお金が無かろうと当たり前のように小遣いを要求し、休日は朝から晩までパチンコ三昧で、だから出産のことなど意に介してもくれなかった。
久美とは話が合わないものだから手持無沙汰になったテーブルには常に酒のコップが乗っていて、ほっとけば昼間からでも飽くことなく一升瓶から酒を注ぎ飲んで 部屋が煙って視界が悪くなるほどタバコをふかし気難しい顔をした。
「自分が悪いんだから・・・仕方ないよね」
周囲から逆ナンと後ろ指さされながらも、こんな男を口説き結婚に持ち込んだ久美。己の愚かさを呪った。
そんな旦那と付き合い始めて間もなく、久美の結婚を前提に付き合う人が出来た報告に友人と出会う機会があったが、この男は彼女を見た瞬間たちまちその友人の虜になった。
臨月に入り、時々疲れからか動けない日があり、そんな時は長女のこともあり彼女の助けを借りざるを得なかった。
自宅に立ち寄ってくれる美麗な女性。旦那は益々彼女への思慕を深め久美の目の前で彼女の躰へ嘗め回すような視線を送る。
こうなってしまっては旦那に、どんな用事を言いつけても恐らく耳に届かないだろうことは久美にはわかっていた。
仕事を終えて郷から車を走らせて帰る、その郷は味噌汁の冷めない距離にあるのに何時まで待っても帰ってこない。
美麗な友人宅の周囲を車でグルグル駆け回っていることは聞かなくてもわかっていた。
自分だけ郷で食事も風呂も済ませ、その食事に合わせてと足りなくて自販機でと一杯機嫌で車を走らせていることもだ。
こんなだからたとえ短期間入院したとしても上の子の生活が気になる。
上の子が帰ってきても食べるものを見つけるが早いか酒のつまみに早変わりする。
それでも気持ちの上からも無いと困るからご飯を用意し、それが終わると入院の支度をして自転車にそれら全てを積み込んで産院に向かった。
両手に目いっぱいの荷物を抱え玄関先に現れた久美を見て看護師たちが慌てて走ってきた。
臨月に至っても休まず働いてきた久美は平素の体重より5キロ増えただけの至って普通の20代女性。それに向かって慌てふためく看護師を周囲の患者はさぞ不思議そうに見たことだろう。
だが久美は一向に気にならなかった。
借金取り立てに追われる日々を送っていた頃、どんなに苦しくても家族に誰も久美を助けてなどくれなかった。
それがふたりめの子供を身籠った今も続いていただけなのである。
上の子を産むとき、丁度院長がゴルフで不在でアルバイトの若先生を呼んだが間に合わず、産婆が取り上げたことがある。
その時もこれと全く同じようにして久美は病院の玄関先に現れたものだ。
二階の病棟で見回りの看護師に陣痛時間を問われ「5分毎だったかな~・・・よくわかんない」と笑ってみせ大騒ぎになった。
慌てて助産師を呼んで調べてみると赤子の頭がもう既に覗き始めていた。
分娩室は一階にある。手が足りないから看護師がベッドのまま搬送することなどできない、歩いて降りるしかない。
久美を分娩台に乗せた時には破水が始まってしまっていた。
それなのに医院には誰一人として付き添う人は来なかった。
せめてもと看護師が旦那に電話を入れるとそっけない返事が返ってきただけで実際来なかった。
「あの久美ちゃんだもん。覚えてるに決まってる。また今回も一人で来たの?」
今回も前回同様、付き添いの人と間違われそうな華奢な体型の小さなお腹から3キロの立派な女の子が生まれた。久美は自分で我が子に瑠美と名付けた。
「5キロ増えただけのお腹から3キロの赤ちゃん。羨ましい~わぁ~」そのように言われたものの無理をし続け最小限のエネルギーで育てた我が子は小さい。母体も産める状態を保ちかねているが故に子宮口は狭く、頭が出ようとすると裂けてしまうから出産直後に縫合される。
小さな産科に専門の麻酔科などないから半ば生身で縫うことになる。気が遠くなるほど痛かったという。
3日後の午後、久美は強引にタクシーを呼んでもらって自宅に帰った。
「院長先生に叱られるわよ!そんな身体で帰っても誰も家に待ってくれてる人なんていないでしょうに・・・」誰も退院という言葉を口にできないでいた。
「上の子を預けてる保育園から引き取って帰って家事しなきゃいけないの」
放置してあるに決まっていた。
自分勝手に家を空けて出ていたんだから帰ってきたらその分上の子の面倒を見るのは当たり前。
きっとそう思ってるんだろうと帰ってみると正にその通りだった。
子供の送り迎えはもちろん、旦那が汚して帰ってきた作業服の洗濯や食事の世話、それら一切を産後間もない躰で久美はやった。ほっておけば旦那の親から嫌味を言われる。
「うちのひとを郷に置いとけない」
入院直前までパートで働きためたお金もきっと、入院してる間に全部持ち出して郷に渡したんだわ・・・
だから一日も早く退院し、旦那を見張りつつ子供の世話をし託児所に預けパートに出て稼がなきゃならなかった。
病院から連れ帰った我が子を見ても旦那は喜ぶ風はなかったからだ。逆上だけが疲れ弱った躰を動かしてくれた。
旦那に対する言葉や態度にはさすがに気を着けてはいるものの、何かが起こった時の子供に対する目つきは依然にもまして険しくなった。
それが余計に家族をぎくしゃくさせた。
2番目の女の子瑠美は実の父からも親戚から疎まれて育った。
お姉ちゃんには猫可愛がりする父親だが次女の、それも母からきつく堕ろさせるようにと命じられてきた瑠美はとにかく疎んだ。親の言いつけの中身が何であるか思考できる能力など生まれ持って彼には無い。それ故に目倉滅法母の言いつけを守ろうとする父。同じ屋根の下にいながら食事の時でさえ瑠美と視線を合わそうともしなかった。
生まれくる経緯もそうなら育った環境も。
親子の会話すら成り立たない父と娘。
瑠美は立場を守るため、ある種冷ややかな面を持つ子供に育った。
皮肉なもので幼い頃から男の子のようにキリッとした凛々しい可愛さとこの冷ややかな物腰が瑠美のウリとなった。
この時点では内に向いてであったが・・・
似ても似つかない姉妹を学友は冷やかした。姉は別として妹の方はだから意地になって突っ張った。
長じて、表に向かってそれに態度が加わった。
母久美のように意に染まないことがあると途端に容姿とは似ても似つかない啖呵を切りメンチを飛ばすようになっていった。
時としてその怒りを抑えるため自らの躰を相手かまわず投げ出すのである。
母の久美をしてこんな出来事があった。
同窓ばかり寄り集まって(偶然集まっただけだが)飲み会をした時、男は未婚者ばかりだったが女はバツイチばかり。
その席で例の交差点を自転車の前後に子供を乗せあらん限りの荷物を積んで勢いよく走り抜ける久美の話が出た。
ただしこの時点で自転車をこいでいたのが久美だと知られていなかった。
状況説明から久美はすぐのそれが自分のことだと知る。途端に男連中に向かって得意のメンチが飛んだ。
同窓の女たちの目的は逆ナンだったが話の流れから女をバカにした発言とわかり全員がキレたことは言うまでもない。
「あんたたちさ、誰に向かってその生意気な口きいてると思ってんだよ」
「ふん、ろくな稼ぎもないくせに!いっちょまえにオンナを抱こうなんて了見起こすんじゃないよ!」
バツイチで子育てしようとすればそれぐらいやってのけなきゃ生きてゆけないというのが彼女らの持論だった。
「文句あんなら〇〇呼んでやろうか?」
スジの名前だった。
彼女らはそろいもそろってまともな家庭に育ったわけじゃなかった。
見栄えだけは良かったが、男選びの何たるかはもちろんのこと、家庭というものを知らなかった。
尽くすだけ尽くせばいいと思って男の言いなりになって結婚した挙句、子供が出来たら途端に冷たくされ家から追い出された口だった。
独身時代は確かに好き放題とっかえひっかえし男遊びが出来た。
だが、妊娠が怖く気を入れて行為にのめりこめなかった。
その点籍を入れるとそんな心配などどこ吹く風で芯から楽しめた。
恋い焦がれた相手と結婚したわけではなかったが、一様に男の躰に溺れた。
そして孕んで捨てられた。
捨てられないまでもいいように扱われ生活苦に追われていた。
生理が来たその日、瑠美は母の久美に呼ばれキッチンでゴムを手渡され、こう告げられた。
「いい、遊ぶのはいくら遊んでもいいけど子供だけは作っちゃダメ。」
結婚しても決して子供は作らないようにとしつこいほどくぎを刺された。
望まれないで生まれてきた子の惨めさと、子育ての苦労を久美は我が子に向かってコツコツと説いたはずであった。
はっきりと言葉にして伝えなかったものの男を迎え入れてしまったら女の躰はどれほど性欲に対し弱いものかを教えようとした。
だがはたして、メンチを切ってしまった瑠美はその最初に面罵した男をなぜか迎え入れてしまった時、母の忠告を守ることなどできなかった。いいようにあしらわれたのである。
父親が果たしてくれる女の子に対する男の子の、牝を狩るとき牡がどのようなものに変容するのかという感覚が欠落していた。
美貌と秀逸を併せ持つくせにメンヘラ、望まれなかった子の代償だった。
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