知佳の美貌録「特別攻撃隊の妻の悲哀に触れ」
戦後間もなくの日本では
兵隊に夫や家族をとられ、
行き場を失った人々であふれかえっていた。
妻の悲哀 - 要するに男っ気を失った女に春を寿がせ、暴れる性を成就させるためのシモの世話だが、
殊に親の言いつけで
出征直前に
結婚させられ戦死・行方不明により夫が帰ってこず、
途方に暮れる女(
特攻の
妻)は数多く、一家の力仕事は勿論だが閨にしても誰某が秘かに男を世話せねばならず、秘め事と言われるだけに秘匿第一で女衒はそれでまた一儲けした。
時代が時代だけに職もなく、飢えているとはいえロハともいかず、有力者に密かに身を任し糊口をしのぐ未亡人が後を絶たなかったからで、男の存在そのものが貴重な時代でもあった。
娯楽に現を抜かす時代でもあるまいに女衒が稼ぐ・・・それだけ実は身を売る(春を待ち望む)女が相当数いたことを、
この主人公の母(仮に好子としよう)は祖父の職業柄知り得ていた。
隠れ忍んで手を握り春を謳歌し合ったものの、恐れていた事態に遭遇し、すったもんだの挙句女衒の仲裁を仰ぐ。 それも少なからずあった。
春はオンナをして生き返らせてくれるほどの魅力を秘めている。知っていたからこそ、その妾奉公のような状態に身をやつしたオンナの行く末も見てきた。
男の意のまま染まり、国のため家族のため亡くなった亭主を顧みようとしない、一夜の色事だけで溺れ切ったオンナをである。
将来自分は絶対にこうならないよう、日頃から好みの男とみるや関係を持ってみたりもした。
有望な男を見つけ
結婚して自分を袖にした
鉄道員とその家族を見返してやるんだと、心の中で息巻いた。
自堕落な生活を続けながらも「たかが女と馬鹿にされない」ようにするんだと心に誓っていた。
だがそれは少女のうちだけ。
そんな好子がある日の午後、少女に転機が訪れた。
いつものように遊びがてら列車で近隣の町に出かけた帰り、
同じ列車に風采の良い
学生らしき -好子より幾分背は低かったが - 男前が乗って来たのを目ざとく見つけると、
すかさず後をつけ、周囲に民家がなくなると意を決して声をかけた。
この時代は近代と違い、男子(だんし)はとかく女子からこの手のことで声を掛けられる機会が多かったが・・・
多かったが、
それは面と向かってではなく密かに手紙を手渡すとか懐やカバンの中に恋文らしきものを投げ込む、
或いは人づてに気持ちを伝えるような消極的なもの。
つい先ほど列車の中で初めて顔を合わせた女に
いきなり声を掛けられ、付き合えと言われ「お断り」の返事を返せるほど手練手管と言おうか場数を踏んだ男はいなかっただろう。
件の男もまさにその典型的な業態をなした。
モジモジと返事に窮する男の手を取ってさっさとその日のうちに関係を持ってしまったというから、
好子はこの男と違って相当数男女のこのような色事を己の交情はともかく見知っていたことは確かだろう。
見目麗しき女性に手を引かれつつ、あの「遥か向こうに枕芸者衆の棲む街・・・」のそれ目的の宿に入り床を共にする。
学生の分際で、秘かに許されていた娼妓を買うのではなく素人の美女と昼日中・・・、あってはならないことをしでかしてしまった。
大事な学業を放り出してでも責任を取らねばならない、そう決心させるに足るほど当時の好子は魅惑的だったのだろう。
かくして地方の名士の息子で神童と謳われた学士の男は、知らぬこととはいえ女衒の娘の好子によって堕とされた。
このことが後に意外な方向に向かってこの一家を押し流していくことになる。 続く