知佳の美貌禄「女衒の家に生まれ」

時は明治。
父親の生家は記憶にある限りでは
女衒(一般的には貧農が娘を質草として女郎を商う置屋、又は揚屋”あげや”ともいう に売る。このこの仲立ちをする男衆のことを言う)を
生業(なりわい)としていた。
男は岡場所のあるこの地で髪結いという表のもっともらしい看板を掲げてはいるが裏に回ればそもそも穢多(えた)だった。
人も避けて通る河原乞食が何故と思うかもしれないが、主人公久美の母が物心ついた時にはそうは思えなかったという。
地方で知らぬものとてない潤沢な資金に支えられ知名度も高かった。
穢多(えた)ともいうべき身分の者が資金を得、地方の有力者にのし上がった本当の理由、資金の出所は実は女衒だったのである。
この男に文を出すとき、なになに圀(○県○郡)と姓名を書けば届くほどに穢多(えた)であっても力を持っていた。
故に、この物語の主人公となる久美の祖母は、金の工面に来たさる地方(女衒の住む場所からすれば武士の住まいは中央だが)の有力武士の末裔を金にあかして娶り得たのである。
評判の妹を連れ兄が遠路はるばる借財の願いに来ていた。
女衒故、どこそこの何それという娘は美しいなどという情報はすぐに彼らに知れ渡る。
事前に手を打っておいたと思われるが・・・ ともかく遠路はるばる呼び寄せた。
その兄の留守の間に質草同然に手籠めにし女衒が奪い取ったもの、絵にかいたような寝盗りだが、連れてこなければならなかった兄の方でもうすうす妹を金に換えねば帰れなかった事情があったようで、結局女衒のもとに傷物にされた妹を残し帰ってしまっている。
ついでのことを書けば、この武家は女衒の融資がお家立て直しに叶う金額とはならず、ほどなく没している。
女は得たが、代償は払わなかった。
不幸なことに脊椎を損傷し不自由な体でさえなければ自身で帰れたものを、この女性は結局一度もこの後、郷里の地を踏むことなく女衒のもとでこの世を去っている。
久美が見ても引く手あまたの綺麗な女性(お姫様)だったという。
詳しく書けば、元有力武士の末裔が
お家取り壊しを避けるため女衒に融資を請うた。
その、頼みに来た兄に付き添って来たのが妹で、
貧困にあえぐ実家ではろくな食べ物もなく、
せめて静養がてら裕福な女衒の家にでもと兄自らいざなった。
その大事な妹を兄の留守中に強引にのしかかったのが女衒で、
気が付いた時には妹は傷物になっていて、
とても他家に嫁には出せそうにない。
帰ってきた兄は当然抗議した、が、
以降親戚付き合いになるのだからと言い含め
借金を棒引きにする代わりに黙って帰れと追い返したというわけである。
当然実家はなりゆかず間もなく没落・離散してしまう。
女衒の それを見越したうえでなせる業だった。
女衒などという生業をするだけに地方のスジの者たちも一目置く存在で、
それ故に粗暴だった。子育てなど、
ましてや男の子。その全てを賄い人に任せ自らはせっせと裏の商いに精を出した。
この物語に登場する女衒の孫娘久美はそのような境遇で育った息子の子孫である。
金儲けに懸命で子育てなど意に介さない父親に育てられた息子。
人を人とも思わない親に言われるまま妻を娶った、その妻が孕むと
待ってましたとばかりに息子は商売女に手をだし、
家に寄り付かなくなった。
娶った妻を我が息子より大事に扱った女衒のやり口(女好き)が、
なお息子には許せなかったのである。
自らも親に負けないほどに女道楽をしてやるつもりが水商売の女にいいようにしてやられた。
口惜しくてなお一層帰りにくくなった。そうこうするうちに妻は病魔に侵され、この世を去った。
女衒を教え込まれることになる少女(主人公 久美の母)はいまだ2歳の春のことだった。 続く