知佳の美貌録「女の生きる場所」
46歳の女が２５歳の夫を殺害した事件は、あるひとりの女性の生きざまを今にして思い起こさせてくれた。
この事件は飲食店を経営させられ、売り上げの大半を解体業の夫に貢がされていた女の、夫への逆襲ではなかろうかと思われる。
悲しいことに、30歳の不倫相手の男も、警察に見つかると手のひらを返したように自己都合に逃げ女が首を絞めたと証言している。
見た目にも夜の仕事が似合う、風俗系以外にまず無理という女と、根っからのヤンキーで遊ぶことしか考えないような男の組み合わせ。
しかも20歳以上年が違う点をみれば、女の持つ性への焦りが結婚に結び付いたとしか言いようがない。
年下の男の方から明らかに年上の女に向かって肉体関係を迫り、結婚を申し込んだとは考えられないから、恐らく逆ナン？
計算違いが生じたのは傍目にも危惧されていた年齢差、結婚当初40歳前後と性に最も奔放だった妻を取り囲む環境が変わってきたことではなかろうか。
夫が妻を他に先駆けて奪いたくなる行為の対象と見なくなったことに始まると思われる。
その隙間を埋めてくれたのがスナックの、彼女目当てに飽くなきまでに思いつめ通い詰める男たちの存在があったろう。
若造のヤンキー夫を始末しさえすればという料簡は、恐らく彼女を狙っていた客ならほとんどがそう考えたに違いない。
口先でそう迫れば身体を開いてくれると誰もが踏んだことだろう。
これら競争相手から最終的に残ったのが不倫相手とする30歳の男だっただけのことではなかったろうか。
疑い半分だっただろうが、未だ性を諦めきれなかった彼女は若い肉体に踊らされた。
正式ではなく、夫や顧客と奪い合う女の味は格別で冷静さを欠いていたと思う。
男のほうがそうであればあるほど、受ける女こそ夢中になる。
彼女が選びたかったのは、いつの世も見守ってくれている強い男の存在だったはず。
狙い通りに若くて体力に充ち溢れる男が彼女の性を抑え込んでくれていたのだろう。
夫の計算が狂ったのは金ずるのはずだった店の客の来店目的が夫を殺してでも奪い取りたい妻の身体ったこと。
遊んで暮らす金が欲しいなら、多少のことは目をつむるべきところを殴る蹴るの暴行を働いたと思われるふしがあるところに誤算が生じた。
店にくるお客に身体を与えてでも、夫のためにお金を用立てる。
彼女からすれば稼いできたお金を渡すことは、得も言われぬ満足感が当初は過ぎったと思う。
殺人のきっかけは不倫相手や店の客から幾度となく「出来損ないの亭主」と揶揄されたからに相違ないし、夫以上の情熱を注がれたからに相違ない。
彼らにしてみれば自分こそ優秀な男性であることを女の旦那を愚弄することで認識させ、ただで抱きたかっただけのことなのだが・・・
彼女はおろかにも、これを真に受け乗り換えるに足る男が見つかったと思って夫に手を出したようにも見える。
ただ悲しいかな、不倫相手の３０男は警察と聞いて怖気を振るった。
彼女をして、稼いで貢いだからこそ25夫は囲ってくれていた。数多の男を裏切ってくれ、30男は契れたからこそ殺人計画に加えてくれもした。
彼女なりの生きる場所がそこに存在したからではなかろうか。
全ての不倫も殺人も彼女の努力の上に成り立っていただけのことであるように思える。
それと知ったうえで寝て待つ夫久美はある日の夕刻、長女を背負って近所のスーパーで買い物をしていた。
掛け持ちでパートに出て、そのほんの僅かな合間をぬって我が子を負ぶって大急ぎで買い物をしていた。
買い物をして帰れば洗濯に掃除、食事作りが待っている。
滅多に取れない貴重な時間を有効に使おうと両手に満杯にした買い物かごをぶら下げ商品陳列棚を抜け、レジに向かおうとして背中に違和感を覚えた。
「あれまっ、奥さん。背中の赤ん坊の様子が変だよ！」 寝ていたはずの長女の頭が微かに揺れ始めていた。
「分かっています。誰か救急車かタクシーを呼んでください、早く！！」 背中から降ろそうとするとガクンガクンと頭が激しく前後に揺れた。
手伝ってもらって降ろすと、背中の長女はいつものけいれん発作で口角から泡を吹いて白目をむいていた。
口腔内に何か詰め物をしないことには舌を噛んでしまうと咄嗟に詰め物を探す久美。
あいにくポケットにいつものハンカチが見当たらない。 遠巻きに人が見守ってくれてはいるが誰一人として手を貸そうとはしてくれない。
多少無理はあるが、久美の指を挿し込んで口を塞ぐより仕方がなかった。 幼いとはいえ全力で歯噛みする。血が滲むほど噛みつかれた。
周囲は怯えきっていた。こういったときの店の対応は冷たいものである。
一時を争う事態なのに体面を考えて救急車ではなくタクシーを呼んであった。
「すみません。買うつもりでいた品物は後でお金を払いに来ますから預かっておいてください。ご迷惑をおかけして・・・」 涙が出た。
飛び乗った。 買い物をするだけのお金しか持ってこなかったが考えている暇はなかった。
向かう病院は決まっている。「すみません。今はお金がないんです。必ず後で払いに行きますから」
長女のこの発作は不定期ながら頻繁に起こしていて、かかりつけの病院がそこなんですと告げた。
「いいよいいよ、〇〇さんだろう？ 大変だね～ 頑張るんだよ」 幸いにもよく使うタクシー会社だった。
治療が終わるまで玄関で待っていようかと聞かれたが、丁寧に断った。
後で払いに行く、そのお金の出どころすら考えが及ばなかったからだった。ましてや待ちなどとんでもない、コトが終われば何時間かかろうとも歩いて帰るしかない。
それでも我が子に、もしも後遺症が残ったらと思うと、借金してでもタクシーを使って病院に駆けつける以外方法はなかった。
救急に当たってくれた担当の女医はいつもの抗てんかん薬を処方し、体力が落ちてきていると診て点滴も打ってくれた。
「よかったわ、薬が効き始めて寝たみたい。しばらく預かってるから仕事に行ってらっしゃい」そう言って送り出してくれた。
久美が働き、お金と食事をもって家に帰った時だけ居り場がある。
妻がどんな職業に就き、我が子がどんな大病を患おうと久美の夫は腹いっぱい食べ、3合の酒と肴 パチンコ代を当然という風に帰り着いたばかりの久美にせびる。 噂は聞こえていた。
貧乏に耐えながらも、感心するほど熱心に子育てに励むその姿を、いつしか女医は我がことのように見守っていたのである。
熱性けいれんに加え重度皮膚疾患「とびひ」、その都度久美は自転車やタクシーを飛ばしてこの病院に駆け込み治療を受けさせた。
「とびひ」は全身を血の色に染め治療に当たり、けいれん発作は時に数時間にも及び、入院も一度や二度ではなかった。
治療費は嵩むし、働く時間も制約される。ただでさえ酒乱の父親が怒鳴り込んできて金を無心するので家計は火の車だった。
それでなくても久美たちを捨てて男に走った母親が久美を連帯保証人に仕立て、２千万近い借金を作り、その取り立てに窮していた。
逆さに振っても鼻血すら出ないにもかかわらず、夫はこんな非常時でさえ何も知らなかったような顔をして夕食と晩酌を待ちわびていた。
一時でも早く食べ終え、パチンコにでも出かけたいと言いたげに。
まともな勤め口ではこれらに見合うお金は用立てできない。
時給６５０円やそこいらのお金では夫の要求すら満たせない。ましてや治療費・・・
残る手段は日頃から声をかけてくれる男たちにすがるしかなかった。
