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入谷村の悪しき淫習 ~入谷村で一番顔が広かった人~

 大きく三つの集落に別れていた入谷村は地権を争っていたこともあり地区を通り越して交流を自ら進んで行おうとする人はほぼいませんでした。
 あの原釜 (はらがま) の寛治さんでさえ下組 (しもぐん) にまでわざわざ出かけ締め込み以外 つまり男同士の交流を持とうとはしなかったんです。 一言で言えば各々の集落内においてもまとまってるとは必ずしもいえず、ましてや隣の集落と意思疎通など有り得なかったのです。 現代社会から見れば狭い了見なんですが、もしも万が一相手方に難癖をつけられたら押し寄せる波から一家を守り切れる自信がなかったからです。
 そんな中において唯一自由奔放によそ様の家にずかずかと上がり込む人がいました。 それが隠居 (えんきょ) の長嶋時雄さんだったのです。
 そう、彼が他家にずかずかと土足で入り込む理由と言おうか目的は牛です。 自分勝手に牛小屋に入り、競りに出せそうな牛を見つけると勝手に持ち帰るのです。 なぜならば隠居 (えんきょ) は生計の殆んどを馬喰 (ばくろう) に頼っていて田畑仕事は時雄さんではなく高齢の亀次郎さんが担っていたからです。
 これを総じて入谷村の人々は彼のことを顔が広いと言いましたが、左官屋の幸次さんに言わせればただ単に仁王のような顔つきが恐ろしかっただけ、恐れ慄いただけのようでした。


 以下の物語を読んでいただくとお分かりになると思いますがその時は負けても将来において関わり合いになりたくなかったんです。

 果たしてどの程度図々しいかと言うと、下組 (しもぐん) の大下 (おおしも) 家を例に挙げればわざわざ人が寄り付かない建て方をしてあるにもかかわらずずかずか入っているところです。 それも彼が当該の家を訪問する理由が恫喝と窃盗に近い行為をするためなんです。 顔が広いというのは悪い意味でです。

 その下組 (しもぐん) の大下 (おおしも) 家の場合、家は入谷道脇に石垣を相当高く積んで本家の中 (なか) 家や下手 (しもて) 家と水平になるようにしていました。  言ってみればお城の忍者返しのようにです。

 高さの基準値となる中 (なか) 家でさえ人の背の高さまで石垣を築いてその上に建ってますし、二番目の下手 (しもて) 家では既に人の背の高さの1.5倍ほど高い石垣が積み上げてあり、そして大下 (おおしも) 家となると人の背の高さの2倍を超える高さに石垣が積み上げてあるんです。

 

 しかもこの石積みは野面積みと言って今にも崩れそうな積み方が如何にも粗末な石を使って行ってありました。 忍者のような登り方をすれば崩れ落ちそうで・・・みたいな気持ちにさせる石垣なんです。 それだけこの家に後ろの山が迫っている (敷地が狭い) 証拠なんですが、なんとこの家は縁側から石垣までの距離 (通路の幅) が人がやっと通れる程度しか空いてないんです。 感覚的に言えばネズミの額のような土地に家を建てた風なんです。

 更に問題があるとすればそれは正面玄関に当たる入谷道からの登り口で幅は人がやらやっと荷物を背負って通れる僅か真中 (一間の半分) で、家人の入り口が階段状の石垣になるため足の悪い人は登れず飼っている牛はもちろん登れず、従って足の悪い人や牛の出入り口は別のところにありました。 その入り口もこの高さまで登ろうとすると元々土地が狭いものですからどうしても急こう配になります。 しかも石の階段同様幅が極端に狭いんです。 主 (あるじ) の文雄さんは子牛のことを思い、牛や牛を移動させる人の安全を考慮し牛小屋を低い位置に立て替えました。

 普通で考えれば最も急な勾配が続く谷の入り口側に大下 (おおしも) 家に続く斜面の入り口が婿養子に入る前からありましたから、最初から下に建てれば良いものをと気楽に考えた主 (あるじ) は今度は道と比べそれほど高くない別の場所。 緩い斜面の、道からやや奥まったところに小屋を建てそこを牛小屋にしたんです。

 当初は牛の面倒をみるのにとても便利で、しかも引き運動に出しやすく家族も喜びました。 主 (あるじ) でなくても女性でも簡単に扱えるようになったからです。 通りがかりの人々は誰もそんなところが牛小屋だとは思わなかったものですから家族ですら牛泥棒に対しては警戒心を解いたんです。

 この場所はしかし容易に牛を小屋から出し入れできる分隠居 (えんきょ) の時さんに盗まれる確率も高くなっていたのです。 そして案の定ある日のこと時さん、何処からか運転手と三輪トラックをチャーターして来てこの小屋から丁度競りに出せる年齢の子牛を盗んでいってしまいました。

 たとえ見つかっても家族が盗人を捕まえる為の応援を簡単に呼べないよう家の入り口である斜面をトラックで塞ぐ形に止めさせておいて、牛を引っ張り出し強引に荷台に押し込んだのです。 流石馬喰、こうした窃盗には慣れていますのであっという間の出来事だったのです。 しかも車などこの村では豊里屋の昭義さん以外持ちませんから村道を自動車の往来で使う人など滅多にいなかったんです。 隠居 (えんきょ) の長嶋時雄さんとその一味は易々と子牛を一頭盗むことに成功し、そのまま市場に引き出されその日のうちに買われていったんです。 時代が時代ですから証拠は何処にも残りませんでした。

 子牛が行方不明になった大下 (おおしも) は一家上げて大騒ぎとなり、たまたまその牛がいた牛小屋の閂 (かんぬき) が外れていたものですから家族間でなすり合いになり留守番の春子さんは叱られ・・・結局下組 (しもぐん) の各戸に応援を頼み山狩りをやったんです。

 「なんとウチのやつが牛小屋の閂をかけ忘れ・・・」

この時は文雄さん、怒りに牛以上に大切な嫁のことなど頭になくこう春子さんをくさしつつ状況を伝えました。

文雄さんが最初に飛び込んだのは何故か下組 (しもぐん) でも一番上 (かみ) の前田 (まえだ) 家でした。 隠居 (えんきょ) と前田 (まえだ) は当時持ちつ持たれつの関係にあることすら近所付き合いをほぼ行わない時代ですから知らなかったんです。

 「ほんなら本家にも声掛けにゃ」

前田 (まえだ) の勲さんの働きかけで中 (なか) の徹さんに上手 (かんて) の公則さん、果ては滅多に口も利かない下手 (しもて) の益一さんにまでも招集がかかりました。

 本道から脇道、獣道まで歩いて探しました。 捜査のリーダー格となった勲さんはだから本道を中組 (なかぐん) の隠居 (えんきょ) 方面に向けては敢えて捜索しなかったんです。 捜索すれば必ずそのことを隠居 (えんきょ) に問わなければならないからでした。

 「見つからんのう。 縁遠谷 (えんどだん) 道へ入っとりゃせんかや」

「はあ~ そこまでお世話になるのもなんですから・・・」

入ってたとしたらそこは上手 (かんて) の領域、大切な作物が植わっている田畑がありますからそれを牛が食いでもしてたら詫びどころじゃすまなくなります。

ただでさえ何らかの報酬と酒に繋がる捜索です。 本気になって探すものなどまずいなかったくせに口だけは達者でしたし時間ばかり経過しました。

 しかしとうとうこの子牛は見つからぬまま長嶋文雄さんは諦めの言葉を口にしました。 これ以上捜索のために家財を売り払うわけにはいかないからです。 そう、何年経ってもこの村は相互協力など本気になってし合わなかったんです。

 それから数か月後のこと、その後に生まれたもう一頭が行方不明になった牛とほぼ同じ年齢になり・・・そうです。 主の長嶋文雄さんが留守している間に時さん、あの運転手を再び雇い子牛を盗みに来てたんです。 それもまっ昼間に堂々と。

 たまたま通りかかった人が農作業中の文雄さんの妻 春子さんにそのことを伝え慌てて帰った春子さんの手によって間一髪で子牛を小屋に戻すことが出来ました。 ところが連絡してきた人は時さんとの関りを避けさっさと自宅に帰ってしまわれたので現場は春子さんひとりになったのです。

 「もう二度と来んとってください。 ウチは今この牛を競りに出す気はないんです」

「儂がいいようにしてやろうというのにか」

なんにつけご都合主義の時さん、口元は笑いをたたえてますが目は怒りで真っ赤なんです。

 危険を感じた春子さんは自宅に逃げ戻りました。 逃げ戻ったものの心の内は恐怖は勿論なんですが前回の盗みでご主人にあらぬ疑いをかけられた怒りに満ち満ちてました。

 そのままでは帰れない時さんはなんと運転手に待たせておいて春子さんの後を追いかけ、とうとう台所で彼女を押さえ込んでしまったんです。

 入谷村はかねてより陰に隠れて不貞を行うのは常のことでしたのでこの時もさして抵抗もせず時さんと締め込みをやってしまった春子さんは、その余韻が冷めやらぬままに時さんに良かれと自己判断で子牛を引き渡してしまいました。 あとで何か言われたら亭主が家を留守にするからと言い募ればいいからです。

 この時点で前回の子牛のことについて春子さん自身の口から追及すれば良かったものを、何分にも春子さんにとって心乱れるほどキツイ棹を覗かされ締め込みに応じてくれ気が動転し逆に良いことをした風に思え何も言わずに帰したものですからとうとう最初の牛はうやむやにされてしまったんです。

 二番目の牛でさえも時さん、春子さんに渡すことになった締め込みの折の濁流分を、つまり暴れる人妻をなだめすかし愛撫を施し懇願してのことですからその苦労分をたんと差し引いて、しかもずっと遅れて代金を春子さんがわざわざ出向き請求ししぶしぶ支払いに応じました。

 最初の窃盗では短時間にコトを済ませサッサと姿を消しています。 しかし今回の場合、相当時間を使って結局牛を持ち去っています。 村人はこの間に時さん、春子さんを手籠めにしたであろうとことは気づいてました。 しかしだからと言って口をさしはさむことは後々の仕返しが怖くて出来なかったんです。 ですが以前にも申しましたように経産婦と言うものは一旦味を覚えると早々忘れるような薄情なことは致しません。 これはこれで尾を引きました。

 仕事から帰って来てこのことを知った長嶋文雄さんはしかし、春子さんを叱りもせず かと言って時さんに請求や警察への通報もせずただ牛小屋を元の自宅の並びの納屋に戻しました。

 残ったのは母牛一頭だったので急こう配の上り坂もなんとか連れて登ることが出来たんです。 かくして母牛は元の母屋の横の納屋に収まりました。

 長嶋文雄さんが別に建てたという牛小屋なんですが、文雄さんは入り婿で良く知らないで行ったものの実は曰く付きの小屋だったんです。

 元々そこには大工の源さんが独りで住んでおられました。 竹谷 (たけだん) の貞三郎さんのようにまるで仙人にでもなったつもりで独り暮らしを楽しんでおられました。

 村で一番稼ぎが良いものですから羽振りも良く、たまたまなんですがある女性 (にょしょう) が身の回りの面倒を見に訪れたとしましょう。 話すうちにお互いその気になって締め込みが始まりましたが源さん、相当その女性 (にょしょう) に普段から入れあげていたとみえ、堕とそうと躍起になっているうちにどんどん深みにはまり相手も応戦して来るものですからこれに応えるべく力み脳の血管がぶっ飛んじゃったんです。

 あっという間に虹の橋を渡っちゃったんですが問題はその後で、女性 (にょしょう) は締め込みの痕跡は残しつつも自分の身可愛さに逃げおおせてしまい、身寄りも墓も無かったことから一切合切を常に面倒をみて来た大下 (おおしも) 家 (文雄さんの先代) がやらねばならなくなり、葬儀代は勿論のこと墓所も自分のところの片隅を提供するなど手間と散財が甚だしかったんです。

 そんな逸話を聞かされていたので文雄さん、たまたま牛小屋をということになり人が住まず朽ちかけていた源さんの家と土地を改良し牛小屋にしたんです。 生前約束事はなかったわけですから体の良い横領です。

 この村の人はまことに験を担ぎます。 源さんの住まいの件もそうなら今文雄さんが勤めている会社も元はと言えば上手 (かんて) の公則さんの紹介で入りました。

 たまたまですがその公則さんは妻の美智子さんが寛治さんに誘われ締め込みをやらかしていて、しかもそれが気持ち良かったのかそれとも寛治さんの持ち物に惚れたのか、かつて良い仲だった中 (なか) の徹さんが止めに入っても止められなくなり夫婦仲も微妙になった時期がありました。 

 日雇いでの土方は体力的に限界でもあったし、元々婿養子でそれほどにシャカリキになって働かなくても良かった文雄さんは公則さんに紹介してもらった会社をこの際だからとあっさり辞め、妻を美智子さんのような状態にさせたくなく家に居て春子さんを見張ることにしたんです。

 この時の文雄さん、あの源さんの亡くなり方はひょっとしてと思わざるをえませんでした。 それというのも源さん宅には貞三郎さんと同様に風呂がなく、しょっちゅう下手 (しもて) 家に風呂を借りに来ていたからです。

 こう言ったときに世話するのが春子さんの役目でした。 相手は男衆ですから春子さん、着物の裾をからげ袖を襷掛けして背中を流しに湯殿に入るんです。 湯がぬるくなれば焚き番も勤めました。 文雄さんに言わせれば男女の仲が近くならないわけがなかったんです。

 周りから横領を追及され葬儀代云々を大声でまくし立ててみても今度は源さんと時さんの締め込みの件こそ隠しきれず公になり大下 (おおしも) の、文雄さんの負けとなりました。

 隠居 (えんきょ) の長嶋時雄さんはそのことを熟知していてまず一頭目の子牛を盗み出し、頃合いを見て次の子牛を盗み出そうとして春子さんに楯突かれコトのついでに春子さんをお互いの利潤のため (背徳行為の気持ちよさを思い起こさせてあげる為) に締め込みに誘っただけだったんです。

 何かきっかけを作れば隠居 (えんきょ) の時さんが再び春子さんに狙いをつけてやってくることは目に見えていましたから文雄さん、母牛の処分を農協に願い出、代わりに子ヤギを飼いました。

 家の周囲や田の草刈りをせねばならず、その草を無駄なく処分するには動物に食べさせ、その堆肥を利用するしかなかったからです。

 子ヤギは飼育も簡単で、おまけに乳も良く出て毎朝草刈りをする必要もないのです。 こうして大下 (おおしも) 家 (夫としての文雄さん) は時雄さんに付け入る隙を与えないよう生活全般を自己責任で改良したんです。


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