春先、桜が散るのを待って入谷村ではその年の田起こしがあちこちで始まります。 その時の主役はもちろん大切に育てて来た牛です。
「うお~りゃぁ~ 怠けんな~」
「はい!行けっ行けぇ~」
勇ましいと言おうか無茶苦茶と言おうか、そんな掛け声のもと牛を使っての田起こしがひょろ長い瓢箪のような窪で始まっていました。 牛は前につんのめりそうになりながら鋤 (すき) を引いていました。 それをあるものは青竹を、またあるものは荒縄を持ってと、水を張ったぬかるみのような田の中で一家総出でこの牛を追うているんです。
何処の家でも自慢の牛を田に連れ出して鋤 (すき) を引かせますが、その時に用いる牛はこのお宅以外は全て牝牛です。 なぜなら牡牛は胤付け用に育てると相場が決まっていて普通に育てたら確かに力は強いものの荒くれて扱いにくく農耕用には向かないからです。
牡牛を育ててみても所詮入谷村のようなやり方では肉として高く売れません。 子牛を買う費用は確かに牡牛より牝牛が高いものの大事に育成すればそれだけ高く売れるからです。
ところが入谷村でただ一軒だけ肉牛ではない目的で牡牛を飼っている家がありました。 無茶苦茶な掛け声で鋤 (すき) を引かされているのはその牡牛なのです。
それなりの育て方をしないと牛だって力は出ない、それが理解できないこの家はこの時期になると必ずこういったことを懲りずにやらかすんです。 そう、あからさまな虐待をです。
「こいつめがぁ~ また怠けくさってぇ~」
牛を追うているのは中組 (なかぐん) の豊里屋 埼松一家でした。 追われている牛は若牛ではなく、もう老齢期に入ったやせこけた牛なんです。
「おい、清志。 耳にもっと水を入れろ」
目を血走らせ手綱を取る埼松昭義さんが息子に向かって怒鳴ります。
鼻環 (
はなぐい - 牛の鼻に環を通すため杭を使って貫通させることからこう呼ばれた) に荒縄を通して痛がる牛を無理やり引っ張っているのは祖父の忠藏さんです。 その脇で美代子さんは青竹を手に牛をぶっ叩いていました。
埼松家の3人の男どもにそうしろと言われるから訳も分からずぶっ叩いていました。 牛はまっすぐ進まないで右に左にとよろけながら進むんです。 鋤き起こしにムラが出来るものですから益々距離を稼がねばなりません。 立ち止まれば立ち止まるほど鋤きがめり込み深さも深くなり重くなります。 立ち止まったりすると次に前に進む時に以前にも増して余計な力が必要となります。 疲労が増すばかりでした。
やらせている当人たちは何も知らないでやってるんでしょうが、片方の耳に水を入れると必然的に眩暈が起こるんです。 天地がひっくり返るほどの眩暈、それはもう恐怖でしかありません。 牛の皮膚は馬と違って人間より薄く出来ていて青竹などで叩くと傷が残るんです。
牛は疲れと恐怖で何度も何度も水田に突っ伏し苦しさに喘ぎ、ムチ打たれては痛さのあまり起き上がりを繰り返しひょろ長い田を往復していました。 こうまで派手にムチ打って耕す田ですが、そうまでしてやってみてもよその家のそれに比べると代掻きに都合の良いように耕せてないんです。 それはもう土を均すように裏返すというのじゃなくわざと凸凹にしてしまっているようにも見えました。
「昭義、まだ始まったばかりじゃ、怠けさせんな」
忠藏さんが息子の昭義さんにカツをくれるものですから夫婦揃って家から追い出されまいと必死で牛を叩くんです。
この牛も若かった頃にはたかだか鋤なんぞ無いが如く田んぼを走り回っていました。 隠居 (えんきょ) が時々競りに出す前の馬を田起こしに使っていましたが、それと大差ないほどにこの牡牛も早い時期があるにはあったんです。 それはもう、手綱を持つ方が追いつかなくて汗みずくになって田起こしをやるような、そんな塩梅でした。 飼い主は何時まで経っても同じと考えているようでした。
なぜこのような光景になるのかと言うと、それは一にも二にも牛の育て方が間違っているからでした。 可愛いとか健康に育てようなんて気持ちは微塵も持たない家系だからです。
他の家は牛に朝露の降りた柔らかい草を刈って持ち帰り、米ぬかや時に塩などを混ぜ食欲旺盛になるよう調整して食べさせます。 食べ終わると
駄繋ぎ場 (
だつなぎば) に出してやりブラシをかけ、或いはこの時点で健康状態を調べ、良ければ運動に連れ出します。
ところが豊里屋のやり方は朝草をもろくろく食べさせず、不足前(たらずまい)はクマザサを持ち帰って餌箱にではなく牛舎の中の足元に投げ込むのです。 牛は汚物にまみれたそれを仕方なしに口に運びます。 こうすることで雑菌が体内に入り益々弱るのです。 下手すれば筋肉がごっそり削げ落ちます。
クマザサは村中至る所に生えてて、これを自分の持ち土地以外で刈り取って持ち帰っても村人はまず文句を言わないから欲得尽くでこのようなことをやるんです。 大量にクマザサを敷き藁のようにして与えると、それ即ち田んぼの肥やしになるんです。
牛を生かすために飼料を自分たちの食い扶持を減らしてでも与えるのではなく、ただ単に肥やしづくりのため安上がりのクマザサを与え、運動たるや一度もやったことも無ければ堆肥を全て掻き出す必要がある時 (堆肥が溜まり過ぎた時) 以外牛を
駄繋ぎ場に出してやることすらしなかったんです。
如何に牡牛と言えどもこれでは力の出ようはずがありません。 見るからに育ちが悪く痩せこけ田起こしの際など涙を流しながら前に進んでいました。
何故にこれほどまでと思われるかもしれませんが、今はもう聞かれなくなったとはいえこれがかつての穢多 (えた) のやりかただったんです。
忠藏さんと頼子さんがまだ幼い昭義さんたち子供4人を引き連れ豊里村から入谷村に夜逃げしてきたのも豊里村では穢多 (えた) を快く迎え入れてくれなかったからでした。 一時受け入れてくれたように見せかけたのは彼らが貯めたたくわえを搾り取るためだったのです。 こうして借財だけ増えてしまった豊里村から新天地を求め夜逃げして来てたんです。
各地を追われ追われて転々とする間に学も無い彼らはそれでも生き抜くため自然とこのような感情を内に秘め負けてなるものかを糧に勝ち残って来て、今に至っていたんです。
その尋常ならざる手段で左官屋 池之原幸次さんから奪い取った田を一家総出で耕してたんです。 耕さないと何処からとなく難癖をつけられ追い出されるかもしれない。 それが怖かったんです。
では何故に牛を虐待してまで田起こしに専念してたかと言うと、後々の作業を軽減するためです。
田起こしが終わる頃には牛はほぼ立てなくなり耳に水を入れようが青竹で叩こうが動かなくなりますから、代わりに人間が鍬を使って人力で漉き込みから代掻き (しろかき) を行わなければなりません。
せっかく青空の元に出れたというのに、またあの狭い暗い部屋に翌年の同じ時期まで押し込められるのです。 もちろんこの日は言うことをきかなかったものですから飼い葉は足元に転がってる汚れ切ったクマザサなりを口にするしかありません。 良い事と言えば横になって眠ることが出来る点です。
しかし忠藏さんにとって田は大事ですのでこの程度で終わらせて貰えません。 次から次へと仕事を見つけて来ては若夫婦に押し付けるのです。
ご主人の昭義さんはこういったときちゃっかり楽で小綺麗な畔切りと畔塗りを行いますので、冷たい水に浸かりながら懸命に凸凹になった田の土に水を含ませ掻き混ぜ漉き込みから代掻きを行わされるのが、あの村の男どもが代わる代わる弄んだ男勝りの美代子さんなんです。 朝露の降りた草を刈って牛に与えられないのはこのようにして暇なくこき使われていたからでしたし、何よりも精神構造からして牛馬の如く叩き直されるからです。
この地区では伝統的に美代子さんのような人たちの生活は家風によって決められてました。
例えば食事、
家族と一緒に食卓を囲むことは許されず、何時も台所の上がり段に置かれている家族の食べ残しを仕事着のままかきこみ休むことなく仕事に舞い戻るのです。 お百姓さんは生活の都合上一度に大量に煮物などを作ります。 ですので余りものとなると多少饐えてます。 下手すると腹を下すんですが、空腹には耐え切れず、しかも捨てたら捨てたでキツク説教されますので残さず口に入れます。
牛と同じく美代子さんの躰を栄養が取れ活気がみなぎる筈の食事が蝕むのです。
自分たちが汗水たらして稼いでこしらえた奥座敷にも滅多に入ることすら許されず、粗末な夫婦部屋で寝かされるのです。 ですので彼らの唯一の平穏は野や山で木漏れ日を浴び転寝することでした。 それであってもあの牡牛よりましだったのかもしれないのです。
隠居 (えんきょ) の時さんはだから好んでこの家に近づくことはしなかったのです。 なぜならそれは同じ種類の人間ということもありますが最大の理由は老齢の牡牛を盗んでみてもお金にならないからです。 この時もしもこの牛が若牛であっても欲なだけあって肥育しておらず競りにもかからない安牛ですので手間賃を考えればわざわざ盗み出す意味すら見いだせなかったのです。
従ってこの家に寄り付くのは炭や割木を高価買取目的で売りに来るもの、或いは溜まってしまった折の肉便器 美代子さんのオ〇ンコが目当ての者だけだったんです。
この豊里屋家は入谷道の脇にあり他家と比べ格段に入りやすく、付近の農家が牛を散歩に連れ出すと牛小屋との距離が近いものですから雰囲気でそれとわかるんでしょう。
殊に発情期を迎えた牝牛を引き運動に連れ出したりされると豊里屋家の牛は痩せても枯れても牡牛ですから交尾したく暴れます。 牡牛が牝牛の気配に呼応すれば牝牛も同じように呼応します。
双方暴れ牛となり得ます。
それに対処するためこの牛の扉は特に頑丈な木で作ってあり、そういった風に発情した牝牛が往来し暴れはじめると牛小屋の中であっても例の田んぼで無理やり言うことをきかせた
鼻環に直接手綱を付けほとんど身動きできないよう、つまり首を吊ったような格好で繋ぎ止めるのです。
こういったことをされると水も飲めなければ餌も食うことできません。 痛さに涙を流し首を吊ったような格好のまま尻だけ床にへたり込むしかないんです。 長時間このようにされるとその後しばらくは大人しくしてます。 生きる気力さえ萎えるんです。
美代子さんもそうで、鞭打たれ諦めきったところに寛治さんのような男が近寄って来ては好き放題弄ぶのです。 そうすると美代子さん、牛がそうなるのを見てるわけですから自分はそうなりたくなく知らず知らずのうちに男衆の背に手を回し引き寄せようとしてしまうのです。
そこまでされておきながら男衆、終わってしまえば何事も無かったかのような顔をして立ち去るのです。 労苦に耐えてきた美代子さんにとってそれは埼松家が自分に課す仕置きと同じでした。 親でさえ振り向こうとしてくれなかったそのことに、発情という現象がどうしても湧き起るだけに美代子さんは牛と同じように狂うのです。
オトコが入って来て掻き回してくれたことに狂うんじゃありません。 幼かったあの頃を懐かしんで可愛がって欲しくて狂うのです。
生き物として大切に扱って欲しくて狂うんです。
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