知佳の美貌録「髪結い組の食事風景」
娼婦を売り買いするのと違い髪結いはそれなりの人出がいる。
髪結い職人のすべてをどこやらから引き抜いてくるわけにもいかず、女衒は娼婦を集めた時のように彼らを貧農の中から駆り集め、自宅に住まわせ修練に当たらせた。
髪結いというのは多くが師匠と弟子の関係で成り立つような仕組みを作っていた。
仕切っているのは表向きは跡取り息子 (長男は飲み屋の女と同衾してしまったので次男が跡を継いだ) だが実のところ差配はもちろん女衒、武士の時代庄屋と小作がそうであったように上下関係は殊に厳しかった。
任侠道でいうところのスジを立てるのがそれにあたる。
女衒が思い立つような仕事だがこれには深い訳がある。
噂の通り彼らに髪を結わせる傍らで廃りゆく淫売の一旦も担わせたのだ。
旦那と枕芸者の間を摂り持つことは無論だが、奥方を髪結い自身が密かに慰めることはもちろんのこと、どこやらの旦那衆を奥方に紹介するようなこともやった。
だから一般職でありながらその関係は親分子分で、その結束が縄張りとなって他を寄せ付けない、いわゆるショバを作っているからこそ稼ぎ(髪結いを兼ねた淫売)もまま安泰であった。
そのため、なにをするにつけ一家総出で事に当たったのだ。
毎日の食事もそうで、頭首を中心の車座になって膳に載せられたものを頭の「揃ったかな?それでは頂こうか」の合図で食べ始めるのが習わしとなっていた。
だが、その車座の中に少女の姿は、たとえ別部屋の一段下座に当たる部屋を探しても見当たらなかった。
少女は下働きの端女と一緒に台所の板敷の間の片隅で残りものでこしらえたありあわせの食事を膳の上ではなく、板敷の上に直接置かれそれを家のものが食事を済ませ一休みするまで待ち、隠れるようにして摂るのが常で、たとえ一段下った下の間に座らされたとしても一応車座で食事を摂ることができる漁師上がりの息子の嫁はことのほか気の毒がった。
が、母親役であろう筈の女衒の妻はこれを見て見ぬふりをしてやり過ごし、このこと (と言おうか淫売の使い走りにも) には一切口をさしはさまなかったのである。
髪結いとしての働きができない少女を、捨て子同様の迷惑千万な人間を如何に血が繋がっていようとも女衒一家は弟子同様の家族と認めなかったのである。
我が事なればたとえ閨の誘いでもけんもほろろ拒絶するものをこれらの件に関しては異議を唱えることはしないばかりか、母親の代わりを務めなければならない立場にある筈の祖母こそが躰が悪いだのという表だった理由で見捨て、挙句自室に善を用意させ独りで食べるのが習慣(ならわし)となっていた。
食事は端女と漁師上がりの女が作る。
端女はそれこそお姫様が見栄えもそうなら味付けも京風のような薄味を好んだことから上品に作ろうとするのだが、漁師の女は育ちが育ちだけに皿鉢料理(さわち料理 - 要するに濃い味のものを皿に大量に盛って出す)やり方しかできないものだから自然気に入られず、端女が食事を運んで行ったとしてもお姫様の口に合わないらしく、ちょっと口をつけただけでほぼ全て残す。
その食い残しを笑顔を装い心で泣いて漁師上がりの女房は下げた。 下げたということはこれをして端女と孫娘である好子の食事に当てろということなのだ。 拗ねない方がどうかしている。
それほど厚遇されていたにもかかわらず孫娘への当てつけは さも当たり前のような顔をしてやったのである。
部屋に食事を運ばせる理由
躰が悪いのホンネは育ちが育ちだけに下々のものと食事を摂る、そのこと自体虫唾が走り受け入れられないと、嫁がされた(とつがされた)折から突っぱね続け、女衒は女衒でせっかく手に入れた三国一の見目麗しい女を手放してなるものかと、我儘と知りつつも渋々それを許していたのである。
塒(ねぐら)にしてもそうだった。
捨て子同然の目で見られるこの子にとって母屋の、それも且つて母が寝暮らした女衒夫婦と壁一つ隔てた隣部屋に居続けることなど心情的にも到底できない。
しばらくは納屋などに潜み片隅を塒にしたが、やがて髪結い業が本格化し端女が母屋の二階を塒に定められたことから、自分も端女の末とでも思ったのだろう この女に誘われるように二階に移り住んだ。
だが、今日の建屋と違い昔の家屋は、階下の天井は囲炉裏や竈 (くど)で火をたく、つまり燻すことから吹き抜けのごとく高く作られていた。
ところが二階は、それこそ普通なら利用しない部分を使おう無理に造作したものだから階段は這い上がるほどの急こう配、家によっては丸太に横桟を打ち付けた梯子(今でいうところの杉やヒノキの枝打ち梯子)で天井裏によじ登らなければならない (それこそエレベーターで昇るのではなく木に登るなのだ) ので、当然入り口は潜り戸程度に狭く低く(茶室の躙り口みたいな)、部屋も隅の方はまともに立つこともままならないほど低かった。
おまけに大正・昭和の家は皆が皆申し合わせたように屋根を互で葺く、天井板がない(日本建築の最大の弱点・断熱効果を無視した造り)うえに窓も申し訳程度の小さなもの、まるで置き屋の遊女の座敷牢然で夏場など蒸し風呂状態になってとても寝るどころではなかった。
成長したのち、普通に持ち合わせる人間としての 母としての愛情の何たるかを見出せなかったのもこのあたりから来ているように思える。
恐らく父親に似たのであろうスラリと背は高いものの曾孫を持つ歳になっても瘦せぎすで食が細い(仏様用の茶碗に精々1杯ご飯を食べただけで満腹)のも、このような生い立ちからであろう。
高貴な座り方
別角度から見ると曾孫を持つ高齢者になった今でも彼女は、現代人なら畳の上では正座で食事をすべきところを片膝立ちして食事を摂る。
このあたりは高貴なお方である祖々母(お姫様)や花魁の正座様式であり、それを見様見真似し自らの生まれ・育ちの卑しさを否定 高貴な血筋と思い続けることでともすれば鴨居に紐をくくり付けたい気持ちを繋ぎ止めていたのではなかろうかと思われる。
これなど体の良い育児放棄だが何事につけ息子たちといい孫娘といい家業は差し置いて女衒はお姫様出の女房にだけは頭が上がらなく気を使ったが子孫の繁栄の何たるかを、子育ての何たるかを終生知らぬままこの世を去っている。
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