知佳の美貌録「女衒の少女の住む街 その変容」
あの枕芸者が棲む街と隣の大きな街とを結ぶ街道、つまり海辺に沿って造られた後に電車が走ることになる街道にほど近い場所にあり敷地面積は小さな児 童 公 園が造成できるほどの広さがあった。
今日ほどではないが、それでも駅前の広い通りを人々は賑やかに行きかっておりそれほどの広さの土地を持ち屋敷を構えるということはそれなりの権力を有していただろうことが駅前という特殊性からも損も広さや家の造りからも窺える。
それに比べ枕芸者、つまり娼婦にさせるべく売られてきた少女が押し込められている置き屋のある地区はかつて、松林が生い茂るただの砂浜。 風が吹いたと言えば家が所々壊れ高波が来たと言えば家が流されやすまいかと心配せねばならなかった。
漁師が海中に湧き出る湯を見つけたと自慢げに口にしたのだ。
その付近一帯を漁場とする漁師が最初に海中で温泉らしきものを見つけたと言い出した。
漁師は素潜りでハマグリを獲ったりイワガキを獲ったりする。 もちろん魚類もだが・・・
この漁師の一人が素潜りで漁をしているときに海中の砂地から盛んに湧き出る湯 (泡) を見つけ仲間にこの話をした。
近隣にそびえる山に降り注いだ雨が地中深く浸透し海中にミネラルをたっぷり含んだ冷水として湧き出でることは既にこの時代漁師仲間はよく知っていた。
だからこのあたり一帯のイワガキは肥え太り良質だともてはやされた。
その山は休火山帯に属するが、山頂からやや下った場所にかつてマグマが噴出したと思われる活火山独特のガレキ場(噴火口らしきもの)がある。
そこはその時代にあってなお、地面は僅かに地熱を帯びていた。
この山と先の湯が沸く海とは目と鼻の先、温泉が湧き出ても何ら不思議はない。
最初のころこそ漁師の気の病だと笑いものになった。 海底が岩場ならその岩の裂け目から湯が沸き出るのも目視で簡単に確認できる。 しかしこの地の海底は何処まで行っても砂地。 嘘偽りであってもそれを証明する方法など無いし、ましてや再度同じところに連れて行けと言われてもおいそれと連れて行けるものでもない。
この話しは久しく笑い話で終わってしまうことになるのだ。
貧困を絵に描いたようなこの地区で、本気になって砂地の海底に沸く温泉 (泉源) を探し出し掘り当てようとする者などいなかったのだ。
第一掘り当てようにも元金はもちろんのこと資金が続くはずもない。
ところがケチで有名 (わずか3日で城主様が入れ替わるほど貧相な思考の土地) な土地の有力者が海賊船の宝探しよろしく興味本位で海中の泉源を見つけようとしたのである。
たちまちそういったことに興味を抱く漁師が呼び集められた。
漁師が云うには温泉の湧き出るこの付近に、見たこともない色鮮やかな魚がまるで竜宮城のタイやヒラメの舞い踊りのごとく群れ泳いでる様を見たというのだ。 理屈からも冷泉でないことは確かだ。
だが探せど探せど温泉は見つからなかった。 地表面に湯が沸き出でるようでなければ起業できない。 心が折れそうになった時やっと温泉を探し当てた。
1921年になってようやく泉源を見つけたというわけだ。
この地のような風光明媚な場所に、しかも海中に優良な泉源を掘り当てたとなると笑いの種と高見の見学をしていた街や近隣の有力者どもも一気に様相 (面構え) が変わる。 事実変わったのである。
海水浴場のような砂地に掘っ立て小屋の旅館を建てわ建てるわ
荒波打ち寄せる砂地の海岸に、とにかく誰より早く旅館を建ててひと儲けにあやかろうとするものがわんさと押し寄せてきたのだ。
家を建てるのに法律もへったくれもない時代、しかも地権などというものがどだい存在しないような砂地。
皆が皆とは言わないが適当な土台石をかき集めそこに間に合わせの小屋を建て旅館とした。
風呂上がりの景観を誇る建屋を競うように建てた。 しかもそのすべてが波打ち際に風呂や縁台 (今で言うところのデッキ) を構えるという風情で建っており、ほんの少し海が荒れると土台の下の砂がものの見事流れてしまう。
束石を失い家は傾く。
それでも懲りず建て直すを繰り返した。
ある時など大嵐級の嵐が来て泉源の塔(温泉汲み上げポンプ)は勿論のこと、コンクリートの土台を用い建てられた旅館ごと海に流されたこともあったという。
それでも笑いが止まらないほど儲かるものだから血気走ってたちまち復興させた。 それほどにあぶく銭が舞ったのである。
あぶく銭の使い道がない富裕層にもてはやされ
はたから見れば掘っ立て小屋だが中だけは絢爛豪華、酒に肴、唄や踊りに酔いしれるとはまさにこれお殿様気分。
そこで宴もたけなわ部屋に引き上げ気に入った芸者と床入りとなるわけで旅館はもちろんのこと置き屋も女衒も笑いが止まらないとなるわけだ。
だからせっせと女衒は置き屋に女を買い付けてきて卸した。
その分女衒もその孫娘も売り上げが伸び忙しかったし、将来に夢をはせたわけだが・・・
栄枯盛衰
この地を温泉街にすべく私財を投入したのが1921年であるのに1925年にはもう鉄道 (電車軌道) が引かれている。
いかに享楽に飢え、街づくりを急がせたかがうかがえる。
それというのも、線路を引くためには女衒の住む街から凡そ1里の原野とも思える土地を切り開かねばならず、当然それは代々守り育てたお百姓の持ち土地とも重なる。 一方は命を懸け他方はゼニを懸け奪うことになる。
そこで敷設に当たって当時女衒の住む街の外れにあった私娼街を通すことを決め、これを街全体の交通の便を図ると言ってのけ市政と定めさせ農民を追っ払った。
さらに一般道だが、これも海の温泉街に行く途中、河の景観・山の景観を見せたら好評を得るのではないかということになり、一直線に温泉街に向かう(庄屋の土地とのいざこざを避ける)のではなくわざわざ河の方面に一度曲げ、温泉街に入って再び元に戻す案でまとまった。
つまりここでも「嫁殺し」の土地を強引に掠め取ったのである。 大川に近いからもお百姓衆にとって水汲みが楽と大切に守ってきた収穫の最も見込める土地をタダ同然で搾取したのである。
こうして素通しの道路整備を行うと一気に浜辺に建つ掘立小屋集団は歓楽街へと発展していった。
「海に湯が沸く」たったそれだけの理由で当時、物珍しさも手伝ってか公園まででき(道路の終点がひとつめの公園で、別に軌道のそばに松林の中の自然公園が設けられた)観光客が殺到した。
この地を確保するにあたり「嫁殺し」とも言われる労苦を堪え凌ぎ開いてきた農地を、たかだか富裕層の遊興目的であるにもかかわらず、将来街の発展のための政府方針によると称しタダ同然で窃取した。
住民の利便性のため線路までも敷設していると述べたのである。 だが悪いことは続かない。 1938年 近く(温泉街の北西部)に陸軍の飛行場が建設されると電気軌道の電線が飛行の邪魔になるいうだけで電車ごと軌道は廃止されている。
つまり、高々遊興目的のため中央政府の名を語って鉄路敷設とは何事かと𠮟られたわけである。
女衒の家は駅前にあると述べたが、それは国鉄の路線とはいっても右の県庁から左の県庁をつなぐための鉄路と言っても差し支えない。 この街は元々沼地、誰の土地とも言えなかったことから機関区を置くには丁度都合がよく、住民を黙らせるため大きな駅前通りを作った。 ただそれだけなのである。
確かにこの駅はこ地区最大級の機関区を有して入る。 が、それはただ単に修理の場所を提供しているに過ぎなかった。 路線を走る汽車は確かに長時間停車してくれたが乗降する客が無いのである。
市内を走る電車は主に吹けば飛ぶような小さな漁港と夕闇迫ると賑わいを取り戻す娼婦街を結んで設けられていただけだからである。
存続の危機に喘いだ幾年月
赤線廃止令がGHQより下る
連合軍による公娼を暗に禁じられ(1947年 昭和22年)売春防止法(1956年制定)によりまず表立っての置き屋が息を絶たれた。
それでも裏では相変わらず枕芸者を乞う声もあり、細々と淫売に応じてはいた。 客引きのための公娼を禁じられた丁度その年、地方の草競馬だった場所が公営競馬場となり、1953年(昭和28年)まで続いたことにより女衒もそのおこぼれに預かり何とか裏家業で生きながらえたかにみえた。
だが、表だって芸者が買えないとあって次第に没落し裏の置屋 (芸妓ではなく娼婦を置く) も消えていった。 旦那制度が廃れるとたちまち資金繰りに困り若い子を買い受けることができなくなり・・夜伽をこなす芸者が皆中年から初老になってしまったからである。
この地に優良な温泉源を掘り当てられ、業界は一瞬ぬか喜びした。 が、一時盛況に向かうと思われた女衒の 実はこれが最後のあだ花だったかもしれない。
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テーマ : 官能小説・エロノベル
ジャンル : アダルト
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知佳さんの感性、面白い。
元ネタは分かりませんでしたけど、この部分を抜き出す感性が良いな、と思いました。
いつもROMってばかりでスミマセン。
が、いつも読んで楽しんでますよ~
コメントありがとう
読み続けていただくと、なぜこういったことを書くかご理解いただけると思います。
コメントありがとうございました。