知佳の美貌録「電柱を伝い外に 戻れない橋」
先にも述べたようにこの地は火山の名残りで出来た、まことに小さな(径100メートル未満のような)小高い丘群と、それを取り囲む底なし沼とでできていた。
端的に言えば汽水湖に浮かぶ小島(島嶼群)であった。
この沼地は例えば近代にお百姓衆でもこの地の田を耕すのにトラクターは入れない。 かと言って通常の耕うん機かと言えばそれも半ば違う。
テーラーと呼ばれる水に浮くような軽量の耕うん機を入れてさえ、耕うん(耕す・泥をかき回し草をなぎ倒す)と同時に代搔き(均す)までほぼ同時にこなしてしまうほどなのである。
そうやって準備が整った田に、こんどは田舟に躰を預け胸まで水につかりながら田植えをする。
冷たい水は相当躰に堪えた。 もちろん牛馬を使うことなどできないから堆肥など望むべくもない。 すべてその年上流から流れ来る水に交じる肥えと日照りなど自然の摂理任せになる。
こういった環境下では平地(田に見える場所)すべてに米を植えることなど望むべくもない。
城主が毎年のごとく夜逃げ同然挿げ替えられたのも致し方ないことだった。
沼は埋め立てたものが仮の所有者となりえた筈なのだが(当時の切り図はいい加減な申告制であるから)申告に基づき調査(検分 見て回る だけ)が行われればそれだけ農地ではなく街が広がる。 いわば権力による搾取だ。
街が出来れば商いを志す者が現れる。
そこではたとえネズミの額のような土地であっても(地権)争いが起きた。
地権者イコール土地の実力者。
商いを志す者の多くは街の何たるかを知らない (と言うより政権と関りを持とうとしない) 山間部の豪農ども。
商売の何たるかを知らずして加わるから長期間にわたり儲かるわけがない。
例えば牛馬市などの祭りが終わればそこが元々お百姓衆の土地であっても持ち主が明らかでない閑散とした地に戻ってしまうのだ。 当主以外牛馬の如く扱いを受けて跡を継がされたものだから第一に学がない。 土地の大切さより目の前に投げてもらったお金の方が値打ちがあると思い込んでしまう。
するとそれまで宵越しの金を持たないほどに飲み食いし遊んだ挙句の借金だけが残る。
金を借りようにも山奥の地権など二束三文。 そこで女房の質入れになる。
女の身分がそれほどに低かったからにほかないが・・・女衒はこの地(町内)の有力者にそれら豪農の女房どもを置屋を介し世話し、金品を得た。 旦那制度、花街結婚だ。
現世にあって、妻を貸し出すなどという不義密通は見つかれば重罪となる。
まさか豪農自らが女房を借金の肩代わりに女衒に預け置いたとも言えず、さりとて地(町内)の実力者が正面切って他人様の女房を寝取ってみたく女衒に頼み込んだとも、口が裂けてもいえない。 そこでよろず相談窓口の置屋の出番となる。
置き屋に売った女の子の水揚げの銭を元手にした女衒は金にものを言わせ情欲を売り買いし (秘密・弱みを握り) 地区の顔役になってしまったのである。
女衒はそんな、彼にとって二束三文とも思える市内に3軒の家を構えていた。
百姓地と違い町家の土地は高値が付く。
誰も彼も儲かるような話しを聞きつけ押し寄せてきて、家を借りたいだの土地を手に入れたいだのと言い出す。
いざというとき今でいう不動産になろうからそのつもりで購入したのかと言えばそうでもないらしい。
正妻を住まわす本家のほかに妾を囲うためなのか、或いは別荘のつもりなのか、ともあれ別邸と称して他の2軒を家族以外の者に住まわせていた。
家を管理する下女を住まわせているというもっともらしい理由をつけ。
正妻は確かに美しく育ちも良かったが、なにせ身体が不自由ゆえ女房としても、また女としても不都合だった。
幼いころに高い木から落ちて脊椎を損傷し背筋が妙に曲がっており、そのため歩くことさえ不自由だった。
それを埋め合わせ愛でるためなのか、或いは立ち行かなくなった在の富豪たちの嫁を借金の肩代わりと称し差し出させ、この家に人身御供として置いて表面上は髪結いの弟子として、或いは下女として留め置いたのか、ちゃんとした生活ができる立派な家を家具付きで女どもに与えていた。
最盛期の女衒は取り立てで払えないと聞くと家人の目の前で野獣の本性を現し人様の女房を襲ったとも伝え聞く。
それやこれやで栄えたオンナの売り買いを売春防止法施工に伴い たたまざるをえなくなった。
髪結いにしても終戦と同時に日本髪を結う人が徐々に減り、変わってパーマなどが流行り出したことから家業を嫌々跡取り息子の意見に従い理髪店(今でいうところの理容院ではなく美容院)に変えている。
そうなると髪結いの技術はもはや使えない。
流行り廃りに追いつけない古い考えのものは置いて行かれる。
それに加え先に商売を始めていた方が利権をチラつかせ客を横取りする。 そこで女衒はその昔どこでもやってた私娼を秘かにやらせた。
兵隊に男どもを取られ遠回しに淫売を斡旋してもらわなくとも必要とあらば自分から進んで身を投げだす女が増えてくる。 それらの斡旋をもやったのだ。
最初に住み暮らした大きな屋敷を生活費捻出のため売りに出し、立ち行かなくなった理髪店のテコ入れのため2軒目も売っぱらい、いよいよ隅に追いやられ女衒の発言力も昔ほどではなくなっていった。
そんなご時世を反映してか手駒の孫娘が時代のニーズに合わせるべく反抗期に入った。
戦中から戦後にかけ、昭和4年生まれの少女も昔でいうところの年頃となり、誘いかける漢も増えた。
それでも昼日中(ひるひなか)町中で漢と出会って話したりすれば噂は直ぐに立ち、女衒の逆鱗に触れる。 だが、育った環境が環境だけに漢への興味は尽きなく、夕やみ迫るころになると己を抑えることが出来ず夜な夜な 家人には密かに、衆目には大っぴらに 漢と遊び歩いた。
日が暮れるころになると、二階の小窓に向かって誘いの小石を漢が投げる。
階下では少女が出かけはしないかと女衒が、家人が見張っている。
そこで少女は毎回小窓をすり抜け電柱を伝って(木製電柱は上り下りするための足場として足場ボルトが打ち込んであった)外に出た。
こうして誰に知られることなく漢と連れ立って出かけ夜明けまでダンスホールで踊ったりし、お互い躰が治まらなくなると相手が妻子持ちだろうが一向に頓着することなく場末の旅館で逢引したりして過ごし、明け方のまだ暗いうちに電柱をよじ登り部屋に帰る日々を送った。
そのような破廉恥なことを女衒の娘が堂々と昼間行えばご注進も有り得るかもしれないが、一旦権力の座から転落した女衒になど、誰も案じ従うものなどなく、逆に身内から崩れるものが現れたことを後ろ指さし嘲笑っていたのであろう。
幼いころからこの子をよく知り、好意を抱いてくれた漢 (大学を出て父親と同じ国鉄に勤めていた秀才)もいて告白もされたが、何も好んで穢多の娘をと家族に猛反対され とうとう最後まで結婚を申し込んではくれず、挙句の果て漢は親戚に薦められて然る高貴な家柄の娘と見合いをし さっさと所帯を持ってしまった。
どうせ自分なんか。 女は荒れ、手当たり次第に言い寄る漢と関係を持ち遊興にふけるようになっていった。
ひとりの漢を巡り女同士取っ組み合いの喧嘩までやらかした。
女衒の家に生まれた。 たったこのことだけでこの女性は -- 以降書き進める主人公の母であるが -- 戻れない橋を自ら好んで渡ってしまったのである。
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