入谷村の悪しき淫習 ~炭焼き小屋での炊事 ~
確かに原釜 (はらがま) の台所とは比較のしようもないほどみすぼらしいんですが、それでも珠子さんなどは原釜 (はらがま) と同程度の料理を炭焼き小屋に近いような粗末な台所で作って出したものでした。 良い妻になるためには何時の時代も無い中でどれだけ工夫をしたかに尽きると思えるのです。
それにもうひとつ、義道さんは食材は田畑で育てているものの台所にまでしゃしゃり出てああだこうだと動き回ったりしない人でした。 その点寛治さんは表面上そう見えて結構マメな方だったんです。
ふたりとも炭焼き小屋で寝泊まりしながら煮炊きするわけではなく、あくまでも安達家の食事を逢瀬の時間を取りたいがため作るだけのことなのでそれで良かったんだと思います。
かくして肉魚は寛治さんが、それ以外の食材はあるものを持ち寄って作り昼はそれで間に合わせ、残ったものは珠子さんに持ち帰らせることで寛治さんは安達家を支えようとしたんです。
都合上珠子さんにはあまり野田原 (のうだはら) から入谷村に向かって出てこないよう約束を交わしておいて寛治さん、時に本谷 (ほんだん) を通って忍び逢いに向かうときもあれば時には上薬研 (かんやげん) を、或いは原釜 (はらがま) の大窪がある堤の脇の山に登り峠道を経て直接炭焼き小屋に至る時もありました。
何時もひょうひょうとして歩いているように見えて寛治さん、入谷村で一番耕作面積が広いにもかかわらず野田原 (のうだはら) の田畑や珠子さんの面倒まで見ていたんです。
それも堤の脇の山から峠道を辿ることになると倍以上の距離を、しかも上り下り織り交ぜて行脚することになります。 珠子さんはそれを一番心配してくれてましたが、なにせどんなに心配しようと止めようと考えてみれば珠子さんとの間にもしものことがあれば寛治さんはそれ以降女を失うことになります。 それはそれは真剣そのものでした。
寛治さんは珠子さんが家事を終えて炭焼き小屋に到着するのを待ち受け唇を奪うとその流れの中で乳房からオ〇ンコへと味見してゆきます。 天候や入谷村の付き合いの他に原釜 (はらがま) の農作業もあります。 単身赴任から帰って来たかの如く寛治さんは飽くことなく珠子さんのオ〇ンコを味わい尽くし、やっと解放したと思いきや もう昼餉を兼ねた安達家の食事の用意にも取り掛からねばなりません。
本格の山子をしているわけではないので寛治さんは取り敢えず食材を珠子さんに手渡し、自身は山中に分け入って薪を集めました。 それを持ち帰って囲炉裏に火をおこし湯を沸かすのです。 珠子さんが食材の下ごしらえをしてくれると寛治さんは火の番を兼ねて煮るとか焼くを受け持ちました。 珠子さんは経験したことは無いにしても寛治さんにとっては忘れてしまいたい辛い思い出である軍隊の野営を思い出させました。 美味しく出来なきゃ上官のビンタが飛ぶんです。 珠子さんが感心する手際の良さはこんなところからきてたんです。
早めの食事が終わると昼寝を兼ね寛治さんは珠子さんを再び味わわせてもらい気を養って午後の作業に備えるのです。
寛治さんにとって気の抜けない時間が刻々と過ぎて行きました。 子供たちが帰る前に安達家の近くの田畑の手入れを終わらせておかない限り何しに野田原 (のうだはら) くんだりまでのこのこ出て来たのかわかりません。 来て直ぐと昼食後に珠子さんを味わうのはこの作業を行うための思考を兼ねての気合い入れでした。
安達家の近くの田畑が終わると順次安達家から遠のくように田畑の手入れを子供たちが学校から帰ってくるころまで近くに珠子さんを付き添わせ行い、その後は珠子さんを自宅に帰し独りで手元がいよいよ見えなくなるまで農作業を続け、暗くなってから月明かりを頼りに原釜 (はらがま) に元来た道を引き返すのです。
寛治さんは夕食を適当な時間を見繕って大目に作るようにしていましたから野田原 (のうだはら) から帰って来たころにはとうに正人さんと波留美さんは夕食を終え自室に籠っています。 寛治さんは帰りしなに風呂の用意をしまず子供たちに入らせ、残り湯で今日の垢と浴室や浴槽を洗い流し、その後独りで食事を摂って寝るようにしてました。
段取りと天候に恵まれ野田原 (のうだはら) に行くことが出来た日は良いのですが、悪天候が続き野田原 (のうだはら) に行けても珠子さんと連絡の取り用がない日や原釜 (はらがま) の用事が嵩んだ日など、深夜になると夢の中にも珠子さんの姿が浮かび苛立って眠れないのです。
義道さんはどう考えても半年先には自宅に帰って来ます。 珠子さんを自由にできる時間はそれまでと限られているんです。 帰って来られてからのことを珠子さんには炭焼き小屋に来てくれさえすればと説明はしましたが、それは理想論であって現実的には不可能です。
寛治さんはだから、お互いの心の中にも躰の中にも何らかの痕跡を残すべく腐心しました。 そこでせめてもと寛治さん、故あってどうしても時間がとれず野田原 (のうだはら) に行けない日を利用して無理してでも街に出向いて珠子さんに履かせるパンティを買い漁りました。 珠子さんに履いて汚してもらいそれを手土産に持ち帰るのです。
最初珠子さんは汚れ物を託けるのを嫌がりました。 きれいに洗って持ってきてしまうんです。 そこで寛治さん、珠子さんを着衣のまま辱め、汚れがたっぷり付着した所で剥ぎ取って自分の手荷物の中に収め、締め込みが終わると手荷物の中から新たなパンティを出して履かせました。
何度もこれを繰り返していくうちに珠子さんもいつか近いうちに寛治さんとの逢瀬が叶わなくなる日が来ると感じたのでしょう。 汚したままの下着を持ってきてくれるようになったのです。 おまけに着古しの珠子さんを想い出せそうな衣服まで添えて持ってきてくれたんです。
「珠子・・・お前・・・」
「わかってます。 何時かきっと義道が帰って来ますから・・・」
あとは言葉になりませんでした。 寛治さんは狂ったように珠子さんのために農作業に励みました。 せめても例年以上の石高になるよう農協の営農指導を受け土地改良まで手掛けたのです。
それでも万が一に備え珠子さんと連絡を取り合う方法を幾度も幾度も実践練習しました。
そしてとうとうその日が来たのです。 珠子さん宛てに病院から義道さんの退院についてのお知らせが届き、合わせて請求署とその内容書が届きました。 寛治さんは治療・入院費を含めた当面の生活費を珠子さんに手渡すと自身は炭焼き小屋の中の物品の処分にかかりました。
義道さんが退院に至った頃には小屋もろとも影も形も無くそうと作業に励みました。
原釜 (はらがま) の堤の脇の山の峠道ばかり利用する日々が続いていましたので上薬研 (かんやげん) を経て上馬見川を遡るルートは既に元通りの原野に戻っています。
珠子さんはご主人が帰宅するにあたり救急隊員が迎えに来てくれたあの道を再び救急隊員が担架に乗せ運んでくれると知ってその道を通って病院に向かったのです。
本谷 (ほんだん) からの道も上馬見川を遡るルート同様にもう人が歩ける状態ではないことがわかりましたが、義道さんの目を盗んで珠子さんが来るようなことがあったら大変と敢えて手入れを行いませんでした。 一部にとてももろい岩肌が覗いていて慣れないものが歩くと谷底に転落してしまう危険も潜んでいるからでした。
寛治さんが考案した連絡を取り合う手段とは両家の子供に関すること。 入谷村は紙屋 (かみや) の真一さんたちが学校に通う間は入谷村が所属する役場が管轄する学校に獣道を通って山越えで通っていましたが、入谷道が整備されると利便性を考慮し下薬研 (しもやげん) や野田原 (のうだはら) が所属する役場が管轄する学校に代わったのです。
寛治さんの奥さんはその学校の役員を務めていて有名であったことから寛治さん、珠子さんにお子さんの行事を寛治さんの子供たちが通う学校宛てに知らせて欲しいとお願いしたんです。
初めは字を書くのがイヤだからと断られましたが、幾度も幾度も炭焼き小屋で練習させ、ついでに宛名書きや裏の文面の主だったところまで葉書きに書かせ期日を入れるだけにして持たせて帰したんです。
妻が亡くなった後、PTAは寛治さんが母親代わりに出てましたのでハガキが届くと直ぐにそれとわかりました。 顔を合わせるだけのことなのですが寛治さんはわざわざバスに乗ってその本校のある比葡の里に出かけました。 学校の近くで珠子さんが来るのを待ったのです。 珠子さんにしてもこうして学校に出向いたのはご主人の義道さんがお世話になったお礼に出かけたまでで、過去一度たりとも山道を歩いてここに来たことは無かったのです。
ご主人の知らせを持って来られた方にはお礼かたがた学校行事に参加すると言いおいて出かけましたが子供たちに対しては何も告げなかったんです。 珠子さん、寛治さんの姿を学校近くで見かけると周囲に気を配りながら元来た道を引き返しました。 寛治さんもそれを見て後を追いかけ完全に村を外れ中山道の上りに差し掛かったところで脇道に逸れ久しぶりに逢瀬を交わしました。
珠子さんは寛治さんのため、ご主人にはひた隠しに隠しておいてた寛治さんからのプレゼントであるパンティを履いて来てくれてました。 寛治さんは炭焼き小屋でやった時のように着衣のまままず珠子さんに男根を与え指マンで嬲りたっぷりとシルが付着したところで脱がせ左の太股を抱え上げ広げました。
珠子さん、与えられた男根の鈴口に涙が浮かんだのを幾度も亀頭に塗りたくりエキサイトしたマ〇をオ〇ンコに自分で指で摘まんで引き寄せ娶わせたのです。 お互い懐かしくてキスはしたいやらハメたいやらで大変でしたが結局珠子さんが寛治さんの首っ玉にしがみついてきたことで寛治さん、珠子さんの腰を引き寄せることが出来、すんなりとひとつになれたんです。
久しぶりの逢瀬は気持ち良すぎました。 寛治さん、珠子さんの口を塞ぐのに大わらわだったんです。 珠子さんを急ぎ幾度か堕とした後、寛治さんは珠子さんを学校まで見送り門の近くで別れそのまま野田原 (のうだはら) に向かって歩きました。 珠子さんが如何に大変な道を辿ってここに来てくれたのか自分の躰で推し量るためです。
寛治さんは珠子さんがすこぶる良い女になったことをまず喜びました。 息災でいることを喜びました。 もっと喜んだのが珠子さんがこの地に来るのが苦にならなくなったと語ってくれたことでした。 今回は野田原 (のうだはら) に来る郵便配達員に通知のハガキを手渡したんですが、用事があるなら出て来れると思うと語ってくれたことが何よりもうれしかったのです。
必要とあらば出た折に郵便局でハガキを買い、原釜 (はらがま) 宛てに連絡を寄こしてくれれば何処へなりと駆け付けることが出来るからです。
上 (うえ) の足羽静子さんが漢らと締め込みを行う峠まで連れ出して堕としてみるのも良いななどと妄想を掻き立てながら入谷村に向かって意気揚々歩き続けました。
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