それからと言うもの晴世さんは頻繁に、しかも真夜中 原釜 (はらがま)
家に忍び込んで来ては寛治さんと逢瀬を交わすようになっていきました。 夫を呼ぶ声が聞こえると美晴さん、目を血走らせふたりの後を追うようになっていったんです。
何故にこのような事態に発展したかと言うと、その元凶は原釜 (はらがま) 家と上野 (かみ) 家の格の違いと立地にありました。
原釜 (はらがま) 家は本家でありながら地盤は入谷村を流れる川の高さとさほど差はないんです。 建てた当初はそれが一番生活に便利だからそうしたんですが・・・それに比べ上野 (かみ) 家は元々の地盤が川より3尺高いうえに更に石垣を3尺5寸積み上げ、そこに家を建ててあり、しかも原釜 (はらがま) 家と上野 (かみ) 家の距離は目と鼻の先なんです。
上野 (かみ) 家にしてみれば本家を追い出され、家を建てようにも平地がなく、仕方なしに山の斜面に川の石を拾って来て石垣を組んでそこに家を建てたにすぎませんが・・・
つまり年がら年中上野 (かみ) 家は原釜 (はらがま) 家を見下ろしているような塩梅になってしまったんです。 先代はそれでもそのようなことは気にはしてても口にしませんでしたが、寛治さんの時代になり自分が正治さんよりひとつふたつ年上と言うこともあってぎくしゃくし始めました。
原釜 (はらがま) 家は上野 (かみ) 家に対しそれではまるで城主様が平民を見下ろすような城郭を建てるがごとしなので、たかだか分家如き出過ぎた真似であるからして二階を削って家を低くしろなどと難癖を真顔で言うようになっていったんです。 それほどに意識し合う2軒ですので寛治さん、とうとう家の周囲の一部を元々全周がただの低い塀だったものを正面だけ二階建ての長屋門にして風格で上野 (かみ) 家を威圧し始めたんです。
こうなると上野 (かみ) 家も黙っちゃいません。 秋の刈り入れ時が過ぎると稲の脱穀が始まります。 上野 (かみ) 家はその脱穀を以前は田んぼに簡易な機械を持ち出して行っていましたが、時代を経るにつれ機械も大型化し、とうとう自宅に納屋を建てに機械を据え脱穀を始めました。 その納屋がまた高く長屋門に見えるんですが脱穀して出たもみ殻は石垣の下にある田んぼに落下する仕組みにしたことで更にひとモメするようになったんです。
別に意識してこのようにしたわけではなかったんですが実際この時期になると脱穀で出たもみ殻が風に舞い流され原釜 (はらがま) 家にものの見事に降り注ぐんです。 埃は出るわくしゃみは出るわで大喧嘩になりました。
山から谷に沿って吹き下ろす風の計算までこの時代出来なかったことが更に悲劇を呼びました。 そう、あの滝の谷 (たきんたん) の水神事件は原釜 (はらがま) 家から上野 (かみ) 家への八つ当たりだったのです。
更にもうひとつ仲たがいの原因があります。 昔は今と違って暴風から家を守るため家の裏に山を抱えるのが常でした。 問題はその山で、原釜 (はらがま) 家は裏が切り立った崖になっており敷地拡張はしにくいんですが上野 (かみ) 家に至っては比較的なだらかな斜面になっているんです。 相対的に比較すると上野 (かみ) 家の方が敷地面積が広く見えるんです。 それが本家の癇に障りました。 斜面を使って庭園を造ろうとしたところ水利権で難癖をつけられたんです。
斜面になっているところは確かに上野 (かみ) 家の敷地として分家する時に分け与えて頂いたんですが元々山自体原釜 (はらがま) 家の持ち物なんです。
このように何事につけいがみ合う良家の嫁は了見の狭いご主人である暴君を嫌いました。 美晴さんは小柄ながら負けん気が強く、晴世さんは大柄でどちらかと言えば朗らか。 何時の頃からか寛治さんは上野 (かみ) 家の嫁 晴世さんを正治さんは原釜 (はらがま) 家の嫁 美晴さんを慕うようになっていったんです。
このような経緯で原釜 (はらがま) 家での不貞と相成ったわけですが・・・
この折の上野 (かみ) の晴世さんと原釜 (はらがま) の寛治さんの
締め込みは原釜 (はらがま) の夫婦部屋で行い昼間だったのでなんとか原釜 (はらがま) 家の山裾から崖を攀じ登って家に帰り着くことが出来ました。 が、以降は真夜中の夜這いだったので晴世さん、女の身で滝の谷 (たきんたん) の水神脇から山越えをし原釜 (はらがま) 家の堤のある田んぼに出て下谷 (しもんたん) の脇を通って
締め込みに来てました。
昼間でさえ歩きにくい山越えの道をお情けを頂戴したく通い続けたのです。
寛治さんを呼び出すのに晴世さん、アオバズクのほーほーっと鳴く声を真似ました。 すると寛治さん、気が狂ったように声の元に飛び出すんです。 美晴さんは声の主を知ってましたから何とも思わなかったんですが子供らは聞きなれない声に怯えました。
父が消えてしばらくすると母も忽然と原釜 (はらがま) 家から姿を消すんです。 美晴さん、晴世さんと寛治さんが
締め込みを行う野を知ってましたから嫉妬に狂い後をつけたんです。
「気にしなくたってこんな夜中に誰が来るもんか、こんなとこに。 それより早う入れさせてくれんか」
「焦らないの! ここに来るまでの間なんだか後ろで足音がしたような・・・」
寛治さんにしてみれば女が抱きたくて仕方なくこんな辺鄙なところまで呼び出しに応じてノコノコ来てやったと言いたいところなんですが、晴世さんにしてみれば自宅から原釜 (はらがま) 家への道のりに比べ
締め込みを行う野など近所の散歩程度にしか思えないんです。
ですがそこは途中獣道を通らねばならない難儀な道でその先は豊里屋の墓でした。 原釜 (はらがま) 家の堤の脇を抜け人も滅多に人など通らない獣道に入り炭焼き釜跡を過ぎると谷が開け、やがて紙屋 (かみや) の田んぼが眼下に見えてくるんですが、その田んぼ脇の高台に埼松家の墓が、つまりその墓とは村八分ゆえ入谷村に影響を与えない辺鄙な場所にあるんです。
「鼻を摘ままれても気がつかないほどの闇夜に・・・か」 寛治さんが皮肉交じりにこう言えば
「現に私たちここに来てるじゃない」 晴世さんはこう応えたのです。
言い争いになるかと思いきや晴世さん、目的地に着くと後を誰かが付けて来たんじゃないかというようなことは忘れたかのようにサッサと支度を始めたんです。
山を越えなきゃならないため晴世さん、万が一に備え蓑を着て来ていました。 それを敷布団代わりに敷いて
締め込みを始めようというんです。 野趣豊かな寛治さんだからこそ納得してくれるやり方でした。
「何度呼んでも出てこないから・・・諦めて帰りかけたのよ・・・んとにもうオトコって」
蓑を敷いた途端に晴世さん、寛治さんにのしかかられ太股を大きく割られ腰を使われながらこう嘆いていたんです。
それを美晴さん、紙屋 (かみや) の田んぼの急な土手を這いずって上がり丁度
締め込みが行われている目と鼻の先で腹ばいになり
覗き見てました。
逞しい寛治さんの背中に晴世さん、両腕を回し引き寄せるようにしながら寛治さんの棹をラビアで咥え込んで扱き上げていました。
「これがどんなに欲しかったことか・・・あなたに分かる?・・・・あああああ」
声を押し殺し懸命に寛治さんの棹を褒めラビアで受け歓喜にむせぶ晴世さん
「口は重宝なもんだ。 正治のヤツだって毎夜つかってんだろ?」
二股かける晴世さんがどうのと言うんじゃなくて上野 (かみ) 家の男如きがと言いたいのです。
「こうやって闇夜に隠れ忍んで抱かれると最高に感じるの」
晴世さんが寛治さんを見つめ、こうささやくと寛治さんは狂ったように晴世さん目掛け腰を振るんですが、美晴さんにとってそれが狂おしいし晴世さんにとってそれが小気味いいんです。
晴世さん、滝の谷 (たきんたん) にただ我が子を流すために行ったんじゃありません。 これからのことを考え滝の谷 (たきんたん) から上 (うえ) の奥山を越え野田原 (のうだはら) に達し上馬見川を下って下薬研 (しもやげん) 近くに至り薬草を採取して立ち戻ったのです。
そう、薬研と言うのは薬草の - と言っても幻覚剤のような薬草なんですが - 里だったんです。
寛治さんに横恋慕した - というよりさせられた - 晴世さんはラビア奥にその薬草を塗り込め寛治さんの棹を迎え入れていました。
何もないときでも勃起が治まらないようにです。
そうしてでも美晴さんから寛治さんを寝取りたいと願うようになってたんです。
実際上野 (かみ) 家では正治さん、確かに夜な夜な晴世さんを求めるには求めますが、それは牡として
溜まった膿を吐き出したいがためだけで、終われば寛治さんとの間で凌ぎを削ってる美晴さんと言えどもそっぽを向かれるんです。 滝の谷 (たきんたん) の水神様でのことを正治さんは忘れることが出来ないでいました。
「なあ晴世よ、何時になったらよい返事を聞かせてくれるんだ」
「まだダメ、ウチのヒトご執心なんだから」
実際に正治さん、嫉妬に狂っている風でしたのでこのように答える晴世さん、でも心の中では上野 (かみ) 家を離婚の危機にまで追い込んでおいて自分たちだけが平気な顔してる原釜 (はらがま) 家を憎み始めていたんです。
肉同士が打ち合うパンパンという音に混じって晴世さんの喘ぎ声が墓にこだましました。
「声を出すと誰かが覗きに来るって言ってたの、お前じゃないか」
「だって、気持ちいいんだもん」
寛治さん、狂ったように棹を欲しがる晴世さんを腰の力で押さえつけ中を掻き回していました。
美晴さん、暗さに夜目が慣れある程度近寄りさえすれば結合部が見えるんです。 晴世さんが両掌で懸命になって寛治さんの尻をもっと奥を突けと煽るのさえよく見えました。 嫉妬は欲情を呼び起こし、その欲情はふたりの女を大胆にしたんです。
そのうち寛治さん、晴世さんを抱き上げたと思う間もなく自分が横になり晴世さんに騎乗させました。
「あああ・・・逝く・・・あああ、イイイ」
晴世さん、付け根までしっかり咥え込み腰をのの字に回し始めました。 闇夜に浮かんだ真っ白い肌、透き通るような乳房が興奮で揺れてました。
その乳房が欲しく寛治さん、晴世さんを引き寄せベロチューを迫りました。
そのまま寛治さん、晴世さんの躰を締め上げ下から突き上げ始めました。
美晴さんは墓地に這いあがり石塔の影に隠れて
覗き見しつつ指を使いました。
晴世さんが小さく逝き始めたのを機に体力的に劣る美晴さんも限界が来て息を殺し小さく果てたんです。
寛治さん、それでもまだ晴世さんに打ち込んでませんでしたのでそれこそ疲れた躰に鞭打って晴世さんに迫りましたが美晴さん、その隙に再び紙屋 (かみや) の田んぼに降り、竹谷 (たけだん) の爺様宅前を通って入谷街道に出て自宅に一足先に帰ってしまいました。
豊里屋の墓で生霊を見たような気がしたからでした。 急いで帰らねば我が子が危ういような気になったからです。
それから幾日か後、あの原釜 (はらがま) 家の堤のある山が大火に見舞われました。 堤の脇の山は田んぼに面した斜面だけ原釜 (はらがま) 家の屋根の普請に使う萱を生やしており暇さえあれば雑木が立たないよう刈り落としをしていました。
その日の午後、この山に出向いた美晴さんはそこに晴世さんの姿を見たような気がしたんです。 気が付けば美晴さん、晴世さんを煙で燻し出すつもりでその山に火を放っていました。
「私は田んぼで敷き藁を燃やしただけ、田に伸びていたツタに火がついて・・・」
こう言い訳したんですが、消防が調べた結果火は山の中腹が発火元とわかったんです。
「とうとう原釜 (はらがま) の嫁は気がふれた」
そんな噂が巷に飛び交いました。 寛治さんの女癖の悪さをみんな知っていたからでしたが・・・
これが大火となり入谷の山々は3日3晩燃え続けました。 美晴さん、この日を境に寛治さんは勿論のこと入谷村の全ての人々から命を危うくしたと忌み嫌われるようになっていったんです。