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中組 (なかぐん) の〇〇屋の幸さん 敏江さんに触発されてお買い物 知佳作

 入谷村に田を持たない家が一軒ありました。 それが中組 (なかぐん) の左官屋家です。  昭和も30年代に入ると確かに左官屋は田を持ちませんでしたが池之原の爺様 幸次さんの先代までは入谷村の中でも最も広い田畑や山を持つ庄屋と呼ばれるほどの裕福な家柄でした。  では何故こうまでに落ちぶれたかと言うと、それは酒と女に幸次さんが殊の外狂ったからです。 それには先代の勘蔵爺さんの妻 トヨさんが深く関わっていました。 勘蔵さんにしてもそれだけ裕福な家系ならもう少し気の利いた嫁を貰えば良かったものを、仲人を通じてある家を紹介され姉妹の中で最も愚鈍と後ろ指さされる女を敢えて可哀想だからと嫁にもらったんです。 それが大きな間違いでした。  入谷村のような僻地に嫁に来ているのに田の草を取るなり山に行き木の一本も切るなりすれば良いものをやれ汚れるのが嫌いだの、やれ虫が怖いだのと愚痴を並べ立て、とどのつまり年中家の中に居て美食三昧で暮らしたものですから終いには周囲も相手しなくなったんです。 こうなるとひねくれるのは世の常。 子育ても自分で産んでおきながらお隣の女房に乳からおしめ替えまで任せっきりと、実に他人様の女房を乳母のようにこき使うような人物に成り下がったんです。
 いえ決して躰が悪いんじゃないんです。 ただのだらしのない横着者だったんです。  このような環境下で生まれて間もない長男が急死します。 こうなった時の責任は昔から母親と相場が決まっていました。 当然トヨさんを白い目で見るようになりました。 するとトヨさん、ますますひねくれて家のこと全て自分が好きなように差配し始めます。 こうして甘やかされてなのか育児放棄されてなのか母親以上にひねくれて育ったのが次男の幸次さんだったのです。  勘蔵さんはこのような出来損ないの嫁を持ったことが祟り躰が目に見えて蝕まれていきます。 とってかわるように当主を名乗った幸次さんはそれでもと勘蔵さんが話しを進めていた嫁を安易な考えで娶ります。 今にして思えば女欲しさにでした。 ところがそれが妻であるトヨさんの癇に障りました。 出来の悪い姑に比べ格段に優秀な嫁だったからです。 何事につけ難癖をつけ、とうとう当主ではなくトヨさんが嫁に三下り半を突き付け追い返したんです。 幸次さんには嫁は寝取られたんだと告げました。 女に対する考え方からして決定的にひねくれたのもこのことがあってからでした。  入谷村は性に関しては病んでいました。 僻地ゆえに女が足りなく、村自体女の思考と言おうか好き嫌いで動かされているようなものだったのです。 長者の権力にモノを言わせた締め込み誘いです。 その影響を幸次さん、モロに受け以降の人生が狂ってしまいました。  発情した牝犬を未去勢の牡犬の近くに置いておくと、未去勢の牡犬は牝犬を求めて購入したばかりの鎖でも簡単に引きちぎります。  左官屋家を貶めてやろうとする村人はまず幸次さんの前で嫁に彼女のオンナを晒すよう命じます。 幸次さんは女が欲しいものだから相手の言いなりになります。 そんな幸次さんを今度はおだてて吞めない酒を敢えて呑ませ酔わせ、再び嫁にその部分を晒させます。 すると幸次さん、自宅にあった貴重なものを持ち出してきて女と交換して欲しいとせがみます。 そこで当時から陰で金銭の貸し借りを生業としていた連中、つまり豊里屋や原釜 (はらがま) が貸し付ける前に何かそれらしきものを受け取った旨の証文を書かせ締め込みは敢えてさせず、しかしこれでもかと魅せ付けてやるんです。 簡単な話し、犬と同じことが起こります。  幸次さんは狂いました。 自分に女について意見をしてくれ、今まで擁護してくれた母のトヨさんに今度ばかりは殴る蹴るの暴行を加えた後、これらの品物をこれでもかというほど持ち出し女欲しさに渡すんです。  しかしそれは泥酔し始めた折に書かせた証文。 中身がなんであるかは欲情の果て泥酔させられていただけに本人は知りませんし記憶にありません。 そう、あの荒勘さんのように事後都合の良いように豊里屋や原釜 (はらがま) は書き換え、酔いが醒めた幸次さんに証文に書かれている品物を渡せと詰め寄るのです。 蔵の中身がすっからかんになるといよいよ次に狙われたのは初期の目標とする田んぼでした。  愚鈍で働く気などまるでない母にこのような状況を改善する名案など浮かぶはずもありません。 第一田んぼの重要性など微塵も感じていなかったからです。 自分も一緒になって酒と美食に溺れ、ついには重度の糖尿に成り下がりました。 しかしそうなってもその生活を止めよとせず、何もかも失って喜色満面ご先祖様に仕返ししてやったような気になって没したのです。  入谷村の連中の非情さはそれだけではありません。 庄屋風を吹かす左官屋の幸次さんの何もかもが目障りで、財産の一切合切を奪っておきながらそれでも懲りず、とうとう豪壮な家屋を家の方角 (建て方) が悪いだのなんだのと吹き込み今で言うところの文化遺産になるような凝った造りのところから引き倒させ何処からか廃屋になった資材を調達させ新築と銘打ってあばら家を建てさせたのです。  蔵も引き倒させ、門も撤去させ、代わりに玄関すらない、屋根に枌板 (そぎいた) と呼ばれる薄い木の板を重ねるようにひいただけの家を建てさせたのです。 枌板 (そぎいた) は上に瓦をのせるから意味があるんです。 瓦が買えないボロ屋は雨が降ればその造りの粗雑さから当然の如く雨漏りしました。 以前住んでいた家の規模から比べるとそれはまるで野原に野趣に富んだ茶室でも建てたのかと思えるほど粗末で小さかったのです。 それでも資金に事欠くものですから、江戸の昔の牢じゃないですが幸次さん、自分が寝起きする部屋の一部だけ畳を敷き、それ以外は良い所で莚が申し訳程度に敷いてあった。 自分は畳の上で寝て家族には筵の上で寝かせたんです。  「親父、ご飯焚けたよ。 そろそろ起きて! ほらほらおばあさんも」 青っちょろい顔をした息子の正平さんが家族を揺すり起こしました。 炊事をしようにも第一台所そのものがないわけですから正平さん、考えた挙句そこいらの山から木を切って来て間に合わせの柱や梁を作りそれにクマザサを葺いたり壁に使った粗末な小屋を立て、そこで炊事をしてました。 便所もその手で立てました。  「儂は飯を食う気にならん。 酒持ってこい」 酒臭い息を吐き、寝床は寝ている間に漏らしたんでしょう、縞模様が出来 饐えた匂いがするんです。 「わかった。 隣へ行って借りてくるから、帰ってくるまでに少しは食っといて」 正平さんは一升瓶を持って隠居 (えんきょ) に走りました。  豊里屋に走ろうにも豊里屋は左官屋から何もかも奪った張本人、お酒を借りたりすれば借りた分の倍以上返さなければならないからです。  「すんません。 親父が酒借りて来いって」 隠居 (えんきょ) の亀次郎さんはお酒を一切呑まないものですから息子の時雄さんが普段呑んでいるカストリを嫁の敏江さんに言いつけ出させました。 「ほんにすんません」 正平さん、親父はカストリでは呑んでくれないと分っていましたが、今はそれしかありません。 仕方なしにそれを大事に抱え持って帰りました。  「おい、親父、お酒借りて来たよ」 「おう、わかっとる。 今起きる」 自分の布団は汚れていて寝にくいとでも思ったんでしょう。 ちゃっかり母のトヨさんを布団から追い出しそこで横になってました。  「なんだ~この酒は~ こんなもんが呑めるか~」 言うが早いか一升瓶飛び、正平さんは足蹴にされました。 情けない話し、そういう子を産んで育てた張本人のトヨさんはさっさと墓に向かって逃げ出してたんです。 幸次さん、散々息子さんを殴る蹴るした挙句、飯も食わず酒と女を求めて里に出かけて行ってしまいました。  「やれやれまたか・・・」 部屋の隅に飛び散ってしまった一升瓶の欠片を拾い集めふと、焚き終わった釜を見ると釜の蓋は庭に放り投げてあり釜の中は恐らく用を足した汚れた手をそのまま洗わず突っ込んだんでしょう。 汚物が混じってとても口に入れられるような状態ではないんです。 飯が熱かったものですから食わずにそこいらに放り投げてありました。  高齢に加え糖尿も末期状態になると常に空腹感に苛まされ、何でもかんでも口に放り込み挙句下すんです。 「こりゃもう捨てるしかないか」 釜出しした炭を一俵担いで里まで出かけ頭を下げて回って米に変えてもらい、それを持ち帰って焚いたものだったのです。 ひと釜で20俵もとれない貴重な炭を米3合と交換してきて家族に食べさせようとしたのです。  家の前に広がる隠居 (えんきょ) の水田にはこの時期自生するセリが沢山生えてました。 正平さんはそれを冷たい水の中に素足で入り剃刀を使って採って昼ご飯の代わりに山小屋に持っていきました。 軍隊で満州に行かされ持ち帰った飯盒で焚いて食べるためです。  その頃トヨさんは墓の下にある豊里屋の畑にいました。 なっている野菜の中から食べられるものを見つけると盗み喰いしてたんです。 見つかると散々ぶたれるんですが、それでも懲りず相変わらず同じことを繰り返してたんです。 その姿はもう山姥そのものでした。  昼近くなって幸次さん、やらやっと目的の場所である川西屋に辿り着きました。 「おい、一杯くれんか」 川西屋は雑貨商をしてるんですがバツイチでしかも流麗な美人、その美しさを商売に生かし食堂兼一杯飲み屋をもやってたんです。 「呑むのは良いけど・・・ちゃんとツケは払ってくれるんでしょうね」 呑ます方も相手のことはよく知ってます。 そのうえでちょっかい出してるんです。  「おう、ちゃんと正平に持って来さす。 だから・・・」 尻を撫で上げると目顔で二階を指しました。 二階でねんごろを決め込んでから呑み直しをしようと言うんです。 「しょうがないわねえ、ちょっと待ってね。 表閉めてくるから」  川西屋の女将は幸次さんが店に入って来た時からその目的は分かってました。 通りを行き交う男どもに酒を注いでみたところで規則で決まってる料金しか頂けません。 それに比べ幸次さんのような男を相手にしたら売り上げは天井知らず。 自分の欲望だって紛らすことが出来るんです。  「ふふふ、今日も粋な恰好ね」 幸次さん、自分とお袋の薬をもらいに出ると言いながら必ず帰りに川西屋に立ち寄って女将を抱くんです。 その折には普段着ているすえたような着物ではなく背広のズボンを履き、ワイシャツを素肌の上から直接着てボタンを一切止めずヒラヒラと風になびかせながら肩で風切って歩くんです。 街とは言えないような田舎臭いうらぶれた通りをチンピラよろしく風を切って歩くんです。  「どれっ、早く魅せてみろ」 「あらっ、いけない人。 誰かに見られたら困るじゃない」 幸次さん、決まってこうしたときには自分から先に自慢のモノをファスナーを開け取り出し握らせました。 言うなれば無許可営業の女郎買いでした。  「隠居 (えんきょ) から借りて来た」 元気よく正平さん、カストリを持ち帰ったんですが、幸次さんはこの”隠居 (えんきょ)” という言葉を聞くと無性に敏江さんのアソコを想い出してしまうらしく辛抱たまらず川西屋に走ろうとするんです。  常会などの折、散々酔わせた幸次さんの前で敏江さん、周囲に囃し立てられ幸次さんに向かってだけチラリと覗かしたりするんです。 もちろん周囲の誰もが左官屋を恨み幸次さんから何がしかの物を取り上げようとこういったことをやらかす彼女に向かって囃し立てるんですが敏江さん、自分でも多少その気があるからなお、悩ましげに魅せるんです。  「なぁ・・・儂の気持ちもわかってくれぇ」 「はいはいわかりますとも」 川西屋の女将はテキパキと用意を済ませ幸次さんを二階に誘いました。 幸次さんのやり方は寛治さんなどと違い目的に沿って一直線なんです。 女将へのお駄賃だって下手に出し惜しみ何ぞしません。 店を、生活を支えるため女将さん、しょっちゅう男を二階に誘うんですが、彼らは全て出し惜しみし終われば終わったで足蹴にするが如く店に寄り付かなくなるんです。   女将さん、幸次さんの言わんとするところは分かってました。 要するに自分の女になれ、できうることなら妻になってくれと言うものでした。  「噂は聞いてるわよ。 あんたのお義母さんと仲良く暮らすなんてこと、ウチには出来そうにないわ」 決まってその言葉を口にするんです。 すると幸次さん、後一押しで堕ちるとでも思うんでしょうか、とことん女将に注ぎ込むんです。 それだけに正平さんは苦労しました。 山子程度のお金で毎度毎度女郎が買えるはず無いからです。  「あんたんとこの正ちゃん、ウチに来る前に荒川に寄ってたわ。 お魚買った風に見えなかったからまぁたツケ払いね。 もっともウチに来てくれる理由だってあんたのツケだけどさ」 少なくとも幸次さんのシモの面倒だけはちゃんと誤魔化しなしに見てると言いたげでした。  「あの荒勘めが、ウチに蛆がわいたような焼きサバ置いて行きおって」 「そうよねえ~ あんなに大量のサバどうすんだろうってこの辺りじゃみんな評判よ。 奇異の目で見てたんだけど・・・そうか~・・・やっぱりねぇ~」 お百姓さんの家にコッソリ忍び込み、空いた鍋や釜の中に新聞紙に包んだ焼きサバを置いて行く。 それが夏場の荒勘さんのやり方だったんです。  「トヨめが荒勘が置いて行ったものをゼニ払っとらんのに勝手に食いよる」 「そうか~・・・汚い話しだけど、食うだけ喰って・・・」 「おうよ、垂れ流すんじゃ」 川西屋の女将さん、トヨさんが好きではないにしろ幸次さんがこうやって来てくれるようになったのはお嫁さんを追い返してくれたトヨさんのお陰。 いわば欲情した躰を抑え込んでくれるのもトヨさんのお蔭。 それ以上あしざまに言い募れなかったんです。  「今日も二階空いてるわよ」 布団も敷いてあると目顔で合図してくれたんです。 その日は足元が暗くなるまで川西屋で幸次さん、女将を相手に合成酒を浴びました。 足腰立たなくなるまで呑んで川西屋が手配してくれたトラックの助手席に乗せられ隠居 (えんきょ) まで戻ってきたんです。  よせばいいのに牛の競合他者でもある時さんのカストリをそこでまた呑まされ敏江さんがいよいよ困って知らせに来てくれ、駆け付けた正平さんに背負われて帰って行ったんです。  幸次さん、川西屋に行くお金がないときは上 (うえ) の後家さん、足羽静子さんのソレを牛の世話に来たと称し借りてて、しかしそれでいて根っからの風流人ですから牛の育て方もうまく、しかし時雄さんはその大切に育てた牛を難癖をつけ横取りし馬喰として売り払ってしまう。 隠居 (えんきょ) の時雄さんとはお互い素面の時は犬猿の仲、逆に静子さんとは閉鎖的な入谷村だからこそこのような状況下でも色恋にまつわる締め込みをやってもらえたんです。  その正平さん、この頃では食べ物が尽き、本家に泣きつき古古古米を分けてもらい、それを粉に挽いてダンゴにして水のような汁に浮かべ食べてました。 トヨさんには仕方ないから醤油で付け焼きし、まるで煎餅に似せたようにして誤魔化し誤魔化し食べさせてたんです。


 




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