耕作放棄地を必死で守り抜いた 下薬研 (しもやげん) の女 知佳作
入谷村はこれまで何かにつけて下薬研 (しもやげん) の所属する地区に負けていました。 資源的には互角以上のものを持ってはいるんですが団結力では圧倒的に不利だったんです。 例えば左官屋など、かつては入谷村が所属する農協支所にほど近いところに本家があり営農指導のお蔭で栄えていました。 ところが欲が出た村人は本家に対し跡取りに酒と女をあてがい動けなくしたところを本来仲間であるはずの近所に片っ端から喰われ (喰わせて) てしまったんです。 これが上手くいくと同じようなことが村中で行われ入谷村の所属する地区は隣人同士疑心暗鬼に陥り崩壊の危機に瀕したのです。
これを救ったのが上 (うえ) の実さん、紙屋 (かみや) の真一さん、前田 (まえだ) の勲さん等からなる村の青年団でした。
下薬研 (しもやげん) の所属する地区が選挙運動で意見がふたつに割れ争うのを見た村の青年団は村民を結束させ里に対抗し里の議員ではなく村の代表を村挙げて推し町長選に打って出たんです。
その時代ですので賄賂の花盛り、金権選挙ではありましたが結局議員すらやったことのない漢が選挙に勝ち町長として施政方針の大変換 (同等の権利を得るよう変えた) を敢行したんです。
隠居 (えんきょ) は前田 (まえだ) の勧めに従い里の親戚を頼って将来に備え多額の献金を行いました。 親戚と言えどもお金を借りるわけですので当然借金です。 その負債は後々敏江さんの肩に重くのしかかることになります。
考えてごらんなさい。 何故入谷村の原釜 (はらがま) 家が近隣の村々を抑え長者になれたか。 それはひとえに質素倹約です。
何事につけ金銭で解決する彼らの頭の中には額に汗して働いて貯めたお金の有り難味などありはしないのです。 あるのは浅知恵です。 高利貸からお金を借り、それを回したんです。 しかし最終的な受け印は長嶋時雄となっています。
最終的には鳥も通わぬ寒村の、それも昼間でさえろくろく陽の射さない谷あいの湿地が都会の一等地の如く扱われたのです。 今で言えば不良債権ですが、当時はこれでまかり通ったのです。
当時のやり方で後々この地区の伝統的な戦い方になったのがお百姓さんならではのお金ではなく米や野菜での献金です。
青年団は農家に集団で押しかけ強引に献金させました。 大川の流域に広がる広大な農地で百姓をしている下薬研 (しもやげん) が所属する集落と違い入谷村のそれは言ってみれば山の傾斜を利用し作った段々畑です。 自給自足が精一杯で農協に出す以外供出など出来るはずもありません。 みんな鼻で笑いました。
ところが出し渋ろうものなら勝手に畑から野菜を米蔵から米を持ち出し農作物で献金に変えたんです。 それはまるで山賊が庶民と戦っているようなものでした。 政治を司る一番人口の多い里が何故にこれを止められなかったかと言うと、青年団が画策して里への食糧供給を予めストップさせておいたからです。
投票を要請する際、これらの物資を横流して欲しくば青年団が押す人に投票するようお願いして回れと脅迫しました。 当時女性が投票に行くことなど希でしたので何も知らない女性票を主に搔き集めさせたのです。 無論各家々は女性が出かけることに難癖をつけましたがそこは顔役が権威ものと諭すというより押さえつけました。
結果は圧倒的な勝利でした。
しかし良い事ばかりが続いたかと言うとそうでもなく、例えば越冬のため準備しておいた農産物を供出した村民が施政方針が変換され豊かになれたかと言うと、これもそうでもなかったんです。
正面の敵は里と踏ん張ってきた漢どもはありったけの資材を投げ打ち勝負を挑んだものの次の選挙で再び主導権争いに負け見習った筈のその里 (比葡の里) との合併問題が本格化すると、まるで敗走する兵の如く気力を失い対策のための定海と称し連日酒盛りを繰り返し酒浸りになってしまったのです。
里はうまく牛耳ったもののこのようなやり方では郡はそうはいかず、ましてや県は首を縦には振りません。 選挙に勝てば良い的なものの考え方で押し通してきたものですから何をやっても村民の気力に繋がらず八方塞がりの政権。 酒飲みのろくでなしと罵られる有様。
その後の施政方針に女性の意見を無視することが出来なくなったのです。 食うものも食わず不平不満を表に表さないで黙々とただ黙って働いてくれるのは女以外いなくなったからです。
こんなところからしてこの時代既に入谷村とその所属する村 (○○村大字〇〇字○○の上下関係の意) は存続を賭け女性の顔色を窺わなければならなくなっていったんです。
せっかくの貯えを全て吐き出してしまった村は一気に冷え込みました。 逆に栄えたのは集団で言えば入谷村が属する青年団、個人で言えばそのリーダー格でした。 何故なら彼らはこれを機会に議員に打って出たからでそれゆえ入谷村が所属する地区と里とのつながりは強くなり (過去はあんたらまだそこに居たの?的扱いだった)、下薬研 (しもやげん) が所属する地区は逆に隅に追いやられ住民の団結心に更に悪い影響を及ぼした (入谷村と下薬研の確執) ためその後の大合併 (入谷が所属する里と比葡の里の合併) に大いに後れを取ったのです。
このどさくさに紛れ隠居 (えんきょ) はさる御大臣の後押しがあると称し持ち土地を担保にお金を借りまくっています。 しかも同じ土地を二重三重に抵当に、もちろん返す当ても無いのに入れたのです。
ところが隠居 (えんきょ) の親戚筋というのは敏江さんの親戚筋ではなく時雄さんの親戚筋で所在地は里です。
決起に先立ち皆が集まった炬燵の上に並べられた見たことも無いような札束、これを目にしたものは一種の興奮状態に陥りましたが然る後に届いたのが裁判所からの差し押さえです。 当然隠居 (えんきょ) にそれでも何か残っているのではないかと借金取りが押し寄せます。 現代と違って押し寄せてくる者の大半は半グレの方々です。
隠居 (えんきょ) の敏江さんはこの方々を相手に居住権を盾に踏ん張ったんです。 騒ぎが起こるとかつては敵であった村の衆と官憲を呼びつけ居住権を主張しました。 幼い子が3人もいましたから官憲もこれは通さざるを得なかったんです。
無知とは恐ろしいものでこの騒ぎを聞きつけた入谷村の衆が雪崩を打って彼ら半グレに対峙しました。 入谷村の衆は業界の存在など知りません。 鎌や鉈を持って対峙されたらまさか官憲の前で引き金を引くわけにもいかず引き下がる他手は無いのです。 これにより隠居 (えんきょ) はまるで何事も無かったかのように借金取りから逃れたんです。
しかしそれは敏江さんにとって家や夫、村の漢どもを敬う気持ちに揺らぎが生じた事件でした。
確かに里との合併は大事業でした。 木馬道がどうのと騒いでいた入谷村にコンクリート製の橋が架かったのです。 そのひとつが敏江さんにとって想い出の地でもある小屋の脇の橋です。
しかし入谷村に車が通る道をつける折にも村から何もかも供出をと言われ難儀し、今度も里の役場の方針とは言うもののやっぱり村の供出金は多額に上り漢どもはすっかりやる気をなくしたんです。
漢がやる気をなくすとこんなことが起こりました。
田起こしに豊里屋など牡牛を引っ張り出して来て耳に水を入れながら汗みずくになって耕していたものを、今では借金して買った耕運機に取って代わっています。
しかしそれであっても面倒くさがるようになり、もちろん山子など論外となり暇さえあれば常会と称し酒浸り。 田起こしにしても田植えや稲刈りにしても漢は怠けて働こうとせず、かと言って誰に頼もうにも来てくれるものなど所詮ロハに近いですからいなくなりました。
田は荒れ放題になり大耕田を有した隠居 (えんきょ) でさえ食べるだけのお米も取れなくなりました。 人が入らない (耕作のため機械を入れる) 湿地はたちまちマムシの巣窟となりとても鎌などでは恐ろしくて対抗できなくなりました。 それでも敏江さんは隠居 (えんきょ) から立ち退こうとしなかったんです。
そんな中相変わらず、押し寄せる借金取りに敏江さん、泣き落としで対応し続けたようでした。 しかし来たからには漢たるものタダでは帰ってくれません。 時間が経てば入谷村の漢どもも何時までも隠居 (えんきょ) で暴漢が来るのを見張ってるわけにもいきません。 漢が納得する何かを密かに掴ませその日は帰ってもらうほかなかったのです。
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