遥けき入谷村 知佳作
一個人ではどうにもならない事業とか仕事を梃子 (てご 手だすけをする者) しあう習慣がかつての入谷村にはありました。
生活の基盤である生きて行くための根本 煮炊きを支える産業として炭焼きなるものが生まれ、しかも小さな河川に沿って延々と低い山が連なる入谷村はこの方面では最も環境の良い地とされていて先を争って人々が入植していったんです。
しかしながら一旦入植し暮らし始めてみるとなるほど、これまで住み暮らした家々とは違い炭焼き小屋では夏は良くても冬ともなれば山を下りねばとても暮らして行けなかったのです。 ちゃんとした自宅を持たねばならなかった。
そこでお隣同士、果ては村内全ての人々が寄り集まって大事業 (例えば自宅を建てる) に向かう時、いわゆる梃子 (てご 手だすけをする者) という習慣が始まったのです。
次男三男など財産分与にありつけなかった者共が放浪の果てに辿り着いたものだからいざ梃子 (てご 手だすけをする者) となると必要な技術はほぼ備わっているのです。
家を建てるにしろ道をつけるにしろこのことは実に便利に違いなかったのですが困りごともまた起き始めました。
土地の権利の問題です。 定住となると屋敷土地に田畑はひとくくりにして考えなくてはなりません。
無償の愛ともいうべき梃子 (てご 手だすけをする者) の習慣が薄れ覇権争いが絡む梃子 (てご 手だすけをする者) となっていったのです。
この梃子 (てご 手だすけをする者) と覇権という異なる垣根を何とかして打ち破り社会奉仕の念に基づく梃子 (てご 手だすけをする者) の拡大は出来ぬものかと入谷村の一般民衆も考えなくはなかったのです。 それが茶飲み話しでした。
ところがこの野で行われる簡易な茶話会があることを逆手に取った輩がいてとんだ騒動に発展してしまうのです。
各地を放浪してきたということすなわち友人知人を持たないということにつながります。
共にひとつ屋根の下で棲み暮らした連れ合いは生活のため足りないところを補い合う相手であって愛だの恋だのとは違う、ましてや欲情に基づく愛を感じる相手ではないと常日頃感じていたんです。
従って懇親会のつもりで開いた茶飲み話しであってもあるものにとっては見知らぬ者同士が膝付き合って相手の気持ちを推し量る場となりお見合いと同じ意味を持ってしまったのです。
仕事の合間の茶飲み話しで相手の意思を確認したと思い込み、後々周囲にそれと悟られぬよう手を取り合って… という風に足入れのようなことがそこここで始まってしまったのです。
武士などという社会通念に秀でた輩では入谷部落の民衆はもちろんありません。 ほんのわずかな横道であっても欲徳に直結しています。
なんとなく今行おうとしていることは背徳行為につながるんじゃないだろうかという考えは確かに頭の片隅をよぎります。 よぎりますがしかし社会通念上秀でていなければ理性より欲望のほうが勝ります。
欲望には性的欲望と覇権の欲望があります。 悪いことに己の伴侶をすんなり差し出しておいて後になってそれと引き換えに覇権の欲望を暴力に変え行ってしまうようなことを平気でやる民であり結果としていがみ合うような事態に発展していったんです。
先にも述べたように社会的通念が通じない輩はだから、覇権にそれほど固執しないかといえば通念のある輩に比べ更に一層そういった欲はあるのです。 しかも普段は性的欲望で睨み合っていてもそういった場合のみ組するという悪い癖が出るのです。
各群の長はこのように言うことを聞かない者のとりなしに奔走しなければならなくなったのです。
しかも奔走し平定させるとなるとそこにはおのずと数の原理が働きます。 上組 (かみぐん) の原釜 (はらがま) や下組 (しもぐん) の中 (なか) に比べると中組 (なかぐん) の長である紙屋 (かみや) の長嶋定男さんは見た目威厳はあるものの人気はいまひとつだったのです。
漢衆の間では確かに他の2群に比べ恐れられていました。 しかし多少でも読み書きできる漢衆と違い何事につけ力でねじ伏せる以外頭が働かず、しかも彼らの女房ときたら読み書きそろばんの類はさっぱりで、何をもとに人気を得ているか動かすかと言えば茶飲み話しの折の欲望のみが彼女らを突き動かす原動力になっていたのです。
もめごともある種定男さんが出張って決まっていたかのように見え、その実これら女連中の横槍ひとつでひっくり返されるなどは日常茶飯事だったのです。
こうなるといかに定男さんであっても下手に口出しすれば自分の身 (女房の寝取られを含め) が危うくなります。 次第にもめごとに口を差し挟まなくなり放置へと流れていったのです。
こうして本来ならば社会的奉仕の念に基づく梃子 (てご 手だすけをする者) であったものがその場限りの、例えば女房殿の実家に帰らせていただきますをを押しとどめる梃子 (てご 手だすけをする者) に代わっていったのです。
漢衆にとってある意味恩義は感ずれど憎さも増す長 (権力で他人の女房を寝取る) が誕生していったのです。
地に根の生えた欲徳勘定なら村もこうも廃れなかったでしょうがその場限り浮かれることへの感情なら読んで字の如くその場限りです。 しかも隣同士で土地の覇権と女を賭け露骨にいがみ合うようになります。
やがてはそういった感情というものは幅広く浅く外に求めるようになります。
その日気持ちよければ後のことは何も考えない女衆のご意向を汲み過ぎて梃子 (てご 手だすけをする者) なるものの本来の意味合いを忘れ入谷村は産業自体失い生活していく上での稼ぎ場帆が無いものだから人員の流出に歯止めがかからなくなりました。
気が付いたときには紙屋 (かみや) の定男さん、家族にも村の衆にも見放され孤立無援になってしまっていたのです。
村に良かれと思って取り入れた和牛の育成も肝心かなめの隠居 (えんきょ) の時雄さんに頼ってはみたものの所詮学が無いものだから見様見真似、牛の飼育に関する知識はまるでなく。 ただひたすら馬喰の賭け事に走ってしまったものですから肝心の牛は痩せ細り売りに出してもかえって損が立つようなありさまだったんです。
和牛飼育で唯一この村にとって良かったことといえば、それは種付けでした。 入谷村のみならず昔の種付けは人工授精ではなく交尾で行わせました。
犬であっても道端で交尾などして居れば女房どもは目の色を変えます。
それが家長に命じられたとはいえ自分が手塩にかけて育て上げた牛が女房殿の目の前で欲情を剥きだしにして交尾するのです。
この時ばかりは流石に女房殿も熱くなり、自分から殿方に向かって発情の旨伝え交尾をねだったのです。
ほんの一刻ではあっても社会奉仕の念に女房殿が燃えてくれたことで後々孕んだ子はどうするかの諍いは起こるものの養育に必要な梃子 (てご 手だすけをする者) がどう騒いでみたってこれまでそっぽを向き合っていましたから成り立ちました。
紙屋 (かみや) というほどですから単独で何とかなる紙漉きも確かに取り入れはしました。 しかし考えてみれば入谷村の本道は樵です。 素直に三椏楮の木を何年もかけて悠長に育てるなどということはできない算段だったのです。
折角育ったものを草を刈るのに邪魔だなどと言いつのり薙ぎ払ってしまったのです。
たとえ紙が漉き上がったとしても入谷村の連中は所詮周辺地域に言わせれば八部 (卑しい人々 穢多・非人)。 売ろうにも売りようがなかったのです。
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