知佳の美貌録「甲冑の部屋に寝かされて」
母の里、女衒宅は没落・四散し(前後は母親でも定かでないといったが)
夏休みなど、学校にも行けない、母親の仕事もさほどもらえないようになると
久美たちは父方の実家に預けられた。
父方の実家は、かつての女衒の家屋敷ほどではないものの(没落直前でも200坪は優にあったが)
地元では相当の有力者で、土地建物も広く大きかった。
変わっていたところと言えば家の造りで
通常玄関にあたるところは店先となり、奥が母屋 そして脇になぜか全く異種の借家のような
とんと妙な家がそれぞれ独立し多様な形で建っていて、これまた妙な廊下・階段で繋がっていた。
もっと妙なのは、母屋と廊下続きで奥座敷(茶室?)もあったこと
しかもその茶室?の広さたるや、普通の民家ほどもあった。
母屋のほうは純和風、逆に離れのほうは洋風の造りになっていて
洋風の家は華やかだったが和風は旧態依然としたたたずまいで
なぜか久美たちは必ず和風の、しかも二階に寝かされた。 トイレは階下にしかない、しかも子供にである。
付け加えておくが、洋風の建屋には空き部屋が沢山あってトイレも数か所あった。
問題はその二階で、大広間の床の間にあたる場所一帯に鎧兜や刀が陳列してあった。
昼間でもこれを見れば子供なら恐がるが、夜間は特に恐ろしく
明かりを消されると、鎧、甲冑が歩き出しそうで
とても寝るどころではなくなり、トイレにも面倒くさがる母親に連れて行ってもらった・・・。
子供が泣いたといっては叱られ
自分の家の子供も含め、子供たちがなにか悪さをしたといっては叱られた。
それだのに、久美だけが子守をさせられた。
なぜなら、あの トンネル工事の飯場で見事に子守をし通し
感謝されたと、好子は会う人ごとに自慢したからで、久美は昼間は常に子供を負ぶう(おぶう)役割をさせられた。
それでいてほかの子供たちの見張り番もさせられ
家事手伝いまでさせられた。
そこまで頑張って、それでも衣食住は別個、貧疎という差別を受けた。
後々語ってくれたのは
よほど女衒の威圧が怖く
射竦んでいたかがこれで窺えたと
ある冬休みにこの家に泊まりに行った折など
何事につけ叱られることに腹を立て
子供たち全員 炬燵に集め、頭を炬燵の中に突っ込ませ昔話をしてやったという。
ただし・・・
最初こそ 面白おかしく話を進め笑わせていき
途中から雲行きが怪しくなるように組み立て
最後はおどろおどろしい話に持ち込み、瞬間!嬌声を上げ「お化けが出た!!」と
一瞬にして全員が泣き叫び
恐ろしがって、以降は久美の言うことなら何でも聞いたという。
このようにして久美はこの家の主の いや全員の意地悪に耐え
なんとか雨露しのがせてもらっていたが
この間、父親は久美の苦労にもお祖父さん(実の父)の苦悩にも一顧だにしなかったという。
そのようなことから、久美が中学に上がると
どんなに家が困窮し、食べるものがなくても
父方には絶対に寄り付かなかったといった。
後々の語りにこんな一説がある。
女衒は金貸しもしており、時代劇などでは角火鉢に鉄瓶をかけ
その前で胡坐をかき、後ろには頑丈な金庫が据えてあり
手代が脇でそろばんを弾く・・・
ところが、角火鉢も金庫も実は父方の親がそうであって
女衒は貧疎な丸火鉢の前で煙草をふかし、背には薄汚い小さな鍵のかかる茶箪笥・・・
女を売り買いし、遊ぶ位金はあっても、こういったものに金をかける思慮分別はなかったようだ。
父方、つまり村議員は絵画骨董にその全てを注ぎ込み文化人を気取り
女衒は逆に金に翻弄される以外は無趣味人だったということ
正反対の人種だったようだ。
以前にも述べた久美の大好きだった広い縁側と太い梁にぶらんこがかかった威風堂々の家「意気に入りの場所 参照」と比べ
議員の家は、どちらかというと京風 華奢で 柱など風が吹けば吹き飛ぶような心細さだったが美的には優れていた。
双方に九通している点は、子育てだけは下手で、人間味にかけていたということだろうか。
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