リスカの少女
純一はこの頃、懸命になって誘って関係が持てた典子のことが頭から離れず、悶々とするうちに朝を迎え 明け方になって疲れからわずかに寝入るのが日課になっていた。
それだけに、新聞配達の元気な足音と何の屈託も手加減もないポストへの投げ込みに毎朝眠りを妨げられ、どうしたものかと思っていた矢先で、ドアをノックされた時間はおおよそ正確だったと思うし、そのノックが典子ではないかと勢い良く開けたのも覚えている。
だが、そこに立っていたのは見も知らぬ少女だった。
屈託のない笑顔を向けてきてはいるが、目の奥には それとは裏腹に悲壮感がみなぎっていた。
「誰だっけ? 部屋間違えてない?」
少女はドアを開けた途端に無言で入ってきた。
玄関土間から床までの高さが10センチにも満たないフローリング、そこに土足のまま入り込んでソファーに足を投げ出して座り携帯をいじった。
次から次へと誰かの連絡先を検索しているようだったが、それも数分で諦めるとその格好のまま寝入り始めた。
純一の会社は8時出勤で、マンションから会社まで歩いて1~2分の位置にある。
いくら早起きだといっても、まだ起きる時間には早すぎる。
ソファーで寝る少女に、純一が掛けて寝ていた毛布を持ってきてそっと掛けてやり、自身は掛布団だけで再び横になった・・・。
知らぬ間に熟睡していたんだろう、汗びっしょり掻いてシーツも身体の形そのままに汗が付着しジットリと湿っていた。
布団を座椅子の背に、乾かすつもりで掛けてから何気なくキッチン兼居間を覗くと、玄関から点々と泥がソファーまで続き、だが そこには誰もいなかった。
連日の過密スケジュールに加え寝不足が続いて ぼんやりしていたこともあり、女の子を早朝に招き入れたことなどすっかり忘れて寝込んでしまっていた。
足跡を見て思い出したのはいいが、その玄関から ましてやソファーは典子との大切な思い出の場所、それが得体のしれない泥で敷いてある絨毯まで汚されている。
もしも典子が訪ねてきたら・・・
考えた瞬間に身体が先に反応していた。
ソファーの下に敷いていた絨毯を風呂場に持ち込んで懸命に洗った。洗い終えるとベランダに引きずり出して天日で乾かそうとした。
どうせ床は泥で汚れている。
風呂場からベランダまで絨毯を洗って垂れる滴がフロアーを汚したが、ぞうきん掛けするにはちょうど良いと思った。
必死で立ち働き、なんとか出勤に間に合う時間には掃除が終わった。
会社に向かいながら、その部屋は会社借り上げの部屋だと聞いていたことを思い出した。
それなら納得がいく。
以前にも彼女らのような人たちが頻繁に出入りする部屋ではなかったかと。
勤務が始まると、いつものように忙しさに忙殺され 典子以外のことはすっかり忘れて働き、帰宅時間になってようやく今朝のことが気になり始めた。
狐につままれたような気持ちでその日の勤務を終え帰宅した。
ベランダに出しておいた絨毯は案の定、生乾きの状態だったが 部屋に持ち込んでもさほど床を濡らすこともなく、思いつくまま丸めて壁際に立てかけ エアコンの除湿機能で乾かそうとした。
乾かなければ、明日天気が良ければ再び出しておけばと気楽に考えていた。
朝は掃除で忙しく、それ以外の場所は点検する余裕もなく出勤したが 改めていろんな場所を調べてみたが何もなくなっているとかはなかった。
冷蔵庫の中には食べ物はちゃんとあるし、第一机の引き出しに入れているお金も盗られていない。
唯一出勤前と違うところがあった。
それは、玄関わきの郵便受けに常時鍵を入れておいた。
典子が来てくれた時、自由に出入りできるように ちゃんと帰り際に教え、その日からそれを続けていた。
期待に反して、典子が留守中に訪問してくれたことはこれまで一度としてなかった。
それが、この日帰ってみると郵便受けに鍵はなく、玄関ドアが開いたままになっていた。
部屋に入ってみたが誰もいなかった。
だが、誰かが入った証拠に かすかに煙草のい臭いがした。
仕方なく、翌日の仕事帰りに近所でスペアのキーを作って郵便受けに入れておいたが、これはもうなくなることはなかった。
それでも部屋は相変わらず誰かが使った形跡があった。
殊に布団はほんのわずかだが温もりが残り微香がした。
こんなことが1週間から10日ぐらい続いた。
出勤後、誰かが部屋に入り用事を済ませて出て行ってて
最初の日から3日目ぐらいから浴室を使った形跡と、使い終わったタオルが洗濯機の中に放り込んであるようになった。
1週間目ぐらいになって、洗濯物の中に女性の下着や服が混じるようになって初めて、あの得体のしれない女の子が留守中に来ていることが分かった。
彼女と二度目に顔を合わせたのは勤務の都合で急遽泊りがけの出張となり、荷物を取りに部屋に帰ったときのこと。
いつものように玄関が開けっ放しになっており、その日だけは部屋に歩との気配がした。
入ってみて驚いた。
女の子は入浴を終え、ソファーに座ってまるで自宅でくつろぐように買ってきた食事をとりながらテレビを見ていた。
普通と違うところと言えばバスタオルを身体に巻いているが、服は着ておらず、風呂上がりだというのに手首には包帯が巻かれていたこと。
太腿の内側に何か描かれていたこと。
よく見るとずいぶん肌や髪が傷んでいたこと。
結局女の子が何が目的でこの部屋に出入りしたかという点については聞かずじまいだったが、全体的な雰囲気から体調不良を癒すためこの場所に出入りしていることを自分から語り始めてくれ知った。
今は大丈夫かという問いに
応えてくれたのが知り合いの男の家に泊まりに行ってる。
今日も間もなくそちらに出かけるから迷惑かけないといった。
その行先を聞いて驚いた。
それは純一がこれから出張で出かける場所、車でもゆうに2時間半以上かかる その更にずっと先だった。
そこにいる男から呼び出されたからこれから向かうんだといった。
太腿の内側に入れていたのは文字とかきれいな絵柄ではなく、虐待された折にできる傷跡をわざわざ彫って描きこんでいて、これが今回呼び出してくれる男の趣味だといった。
これを見たとき、初めて男として役に立つんだと聴いて 自分から名乗り出て誰もが敬遠する痣を入れたんだと。
男が身体から離れた後、淋しくなって手首を切るんだと。
それがどうしても必要だからやってくれる女の子のお前を呼び出すんだと。
最初この部屋に入ろうと思ったのは典子を連れ込んだ日にこの部屋に泊まりたくて近くまで来ていたが、お呼びじゃないとわかって野宿したといった。
早朝、この部屋のドアをノックしたのは男に遊ばれ放置された場所が近かったし、寝かしてくれないほど犯され続けたから疲れ切っていて次の男を探しきれなくて来てしまったと謝ってきた。
疲れていて気が付かなかったけど土禁だったんだと翌日気が付いたとも。
それを言いおいて、その子は目の前で着替えを済ますと部屋を出て行った。
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