「あのぅ……」
「へぇ、なんどすか?」
「私も今夜だけ、名前で呼んでもいいですか?」
「そんなん当たり前どすがなぁ。うちだけ裕太はんて名前で呼んで、裕太はんが名前で呼んでくれはらへんかったら、うち、寂しおすがなぁ」
「ええ……」
「惠やおへんどしたら、どないに呼ぼと思たはったん?」
「どないって……」
突然そう切り出されて、私は困り果ててしまいました。
タクシー運転手を始めて以来、お客を名前で呼んだことなど全く記憶がなかったからです。
「もしかして今晩ずっと、うちのこと『お客はん』て呼ぼと思たはったんちゃう?」
「いいえ、いくら何でもそれは……」
「おほほほほほ~。いや、かなんわぁ~。おほほほほほ~」
女性は口に手を当てて、愉快そうに笑いました。
私もついつられて笑ってしまいました。
「惠て呼んでおくれやす……」
女性は真顔でそうつぶやきました。
私はためらいがちに小声でしたが彼女の名前を呼びました。
「惠……」
「いやぁ、嬉しおすわぁ。なんやどきどきするしぃ」
「でも、今日出会ったばかりの人を名前で呼ぶのは初めてなので、どうも照れますよ」
「そやねぇ。ふつうどしたら親しゅうなってから名前で呼ぶもんどすわなぁ。それはそうと、今晩、うちのようなものに付き合うてくれはっておおきにぃ」
「とんでもないです。あなたのようなきれいな方といっしょに過ごせるなんて
男冥利に尽きますよ」
「やぁ、きれいな方やなんて~そんなことおへんえ~。裕太はん、お口、じょうずやわぁ~」
「いいえ、上手じゃなくて本音ですよ」
「嬉しいわぁ~。『あなた』やのうて『惠』て呼んでおくれやすなぁ」
「ははは、そうでしたね。ところで、何か飲みますか?」
私は冷蔵庫を開けて尋ねてみた。
「そうどすなぁ。なんかもらいまひょか」
「ウーロン茶でいいですか?」
「へぇ、よろしおすぇ」
冷えたウーロン茶を2つのコップに均等になるように注いだ私は女性の前へ置きました。
この先はその女性のことを『惠』と名前で呼ばせていただきます。
コップをテーブルに置こうとすると、突然惠は私の腕を掴んできました。
「裕太はん……」
「……」
惠はとても悲しそうな表情に変わっていました。
「うち、寂しいんどす……」
「……」
「裕太はん、お願いどす・・・今夜だけ、今夜だけでうちのこと愛しておくれやす……」
「惠……」
私はその日、宿泊を決心した時点で「もしかしたら」と言う淡い期待を抱いていたことは否定しませんが、一方では「この人となら一晩語り明かせるだけでも嬉しい」とも思っていました。
どんな形であろうとも素敵な女性とともに一夜過ごせるだけで十分幸せでした。
そんな中、惠から思いがけず「愛して欲しい」と言う言葉を切り出された時、天にも昇る心地になったことは事実でした。
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