近親相姦の島 船主のような名家には代々座敷牢があった
小枝子と美代が生まれ育った島には村々に船主がいて
狭い丘の大半の権利をこの船主が漁船・磯の権利とともに握っていた。
小さな島とて、船主はそれなりに存在し、婚姻などは近親者で
執り行うのが習わしとなっていた。
それによって血を濁さないよう守り、僅かな資産を失わないよう、これも守っていた。
守っていたということは、僅かと言っても他所から比べればこの島が豊穣の地ということが言えた。
例えば磯の権益だが、荒れ狂う冬場の間だけ磯に出て家族総出で働けば
残りの半年は悠々寝て暮せた。
故に朝から各々の家でよく宴会も行われた。茶話会のように。
それ故に、地区の団結 とりわけ血族の団結は固かったが、弱点もあった。
それが血の交わりである・・・。
それは、船主と呼ばれるほどの名家には 必ずと言っていいほど座敷牢があって
主に、これもきわめて劣性遺伝のモノが囲いおかれた。
ここでモノというのは「人に非ず」と思ってよいだろう。
血族の男の諍いを穏便におさめるため、嫁が身体に空きができないほど家中の者を相手に
まぐわい、たまたま生まれてきたそれが劣性なら牢に入れ世間の目から隠した。
それ以外にも、固く囲われたものもいた。
この船主たちの婚姻については先に述べたとおりの方法が主だが、
時によっては本土との取引のため贈り物として届けられた女も混じっていた。
それ以外の囲われものとは、この嫁のことである。
娯楽などまるでないこの島で、冬の嵐の最中、海水に半身浸かって丸一日海藻にアワビ・サザエの収穫などの
仕事をするということは常人にとっても命を宿じめることになり、とりわけ女の身体をむしばんだ。
ある年齢を境に、船主のような名家にでも生まれなかったものにとっては一気に老いた。
このことだけは冷やすことに弱い男衆を悩ませた。
娯楽の大半が隠れて行う男女の交合で、表立ってはいえないが若い女は村の衆全員の
格好の的となっており、女が使えなくなると規律が破壊する。
したがって、女が不倫などということは穏便に済ます習慣ができていて、止めても止めても際限なく行われた。
船主がほとんどの地所を治めていたのも、地主の許しを得ずしていかがわしい行為を
地所で行うことは許されないと名目上規律を作ったからであった。
したがって行う者同士は秘密裏に入山禁止区域に入り、そこで密やかに交合を行ったが、
実のところ、一組が終われば、次の一組が入るという風に 夏の磯仕事がない間は身体を持て余した
男女の間においておおっぴらに交合が行われていた。
そうなると、一握りの船主は建て前上相手がなくて困ることになる。
その時に役に立つのが座敷牢に閉じ込めた本土から贈られてきた嫁だった。
婿は家長から用事を言いつけられた体を装い家を空け、その間に義理の父が嫁と空くことなく交情を持った。
嫁に真に孕む行為を婿に先んじて家長の権限・村の長の権限で行うのである。
このようなことを何も前置きなく行うかといえば・・・ それを本土では嫁入り前にこんこんと言って聞かせ
血族繁栄のため、耐え忍ぶよう言いくるめて送り出していた。
嫁ぐにあたって、まず家長を喜ばせ 己の代わりになる女を孕むことが暗黙の了解とされていた。
家の周囲のいたるところから、これをねたんで見守る衆に監視の中 獣の情交が連日連夜
行われ、情交に疲れ家長が眠りこけでもすれば、たちまち衆目の連中がこれにとって代わり
情交を持ったほど、娯楽がなく唯一それが漁自慢と情交だった。
彼らのやり方は 先に情交を持ち、気持ちに余裕が生まれたら そこで牢に錠前をおろし
建て前上の正義で嫁を囲った。
乗り損ねた連中は他の家の人妻を狙うか、次の機会を待つほかなかった。
このようにして、その日も情交が行われようとしていた。
牢の鍵が開けられた。
嫁は素早く脇を走り抜け、表に飛び出ようとした。
もう何ヶ月も日の光を浴びていなかったし、風呂もなく なにか空間があるとすれはそれは便壺の穴だけだった。
そのため、抜け出ることは一種の命がけの逃走だった。
だが、力むなしく家長に取り押さえられ 前を肌蹴られた。
牢に入ろうとする その時から目的は決まっているだけに家長の下半身には衣服ない。
身体の中心のいきり立つものは、真っすぐ女の秘部に狙いすまし睨みつけていて身動きできない。
嫁の両足を捉えると悠々と開き、濡れてもいない壺口付近をめざし、まるで先端に目でもついているかのごとく
狙いたがわず中心にあてがった。
興奮が限界に達しているばかりではなく、女を性欲の道具としてしか見ていない男にとって勃起など当たり前で
萎えることを知らない。
女の左太腿と右肩をがっしり逞しい手で押さえつけ、中心部はいかつい亀頭を押し付け、撫で廻し潤みを待つ
元来女は、出産と育児期以外でこのように男から刺激を受ければ間違いなく時間が経てば潤み
男を迎え入れようとする。
それを、この男は嫁が潤むだけでは許さず、興奮し下半身が迎え入れようと蠢きが始まるまで嬲るのが通例だった。
村の衆に予め用事を言いつけるのも、隠れ監視されネメツケられながらの交情が特に好きだからだった。
己が若かりし頃、同じように己の嫁を よってたかって嬲った仕返し、その時の言いようにない興奮が
家長を支配していたといっていい。
怒張は、その先端から滲み出た液を嫁のワレメに擦り付け、擦りあげながら
例えようのない膨れ上がった亀頭でともすれば閉じようとするマンスジを左右に幾度も分け
女自身が男をあてがわれた刺激に耐え兼ね、ごく自然に開くよう飽くことなく仕向けた。
分けておいて、陰核を裏筋で丁寧に擦って 己の先だけで勃起が確認できるほどに興奮せしめ盛り上がらせた。
こうなったとき、嫁の 女の壺口は自然と中が見渡せるほどに開き、外からやら中からやら出所が
わからぬほど潤みきって迎え入れ準備がほぼ整うことを、己の嫁が甚振られし右によく見て知っていた。
それでもまだ、あてがうだけあてがって、亀頭に十分すぎるほど潤みをなすりつけながらマンスジを上下させていた。
嫁は既によがり声を出し始めていたし、全身に欲情のための痙攣も起こっていた。
だが、周囲で観ているはずの観衆が沈黙を破っていない。
沈黙が破られるのを堪えて待ち続けた。有無を言わせぬほど寝取ってやりたかった。
何事もなさそうにふるまってはいたが、実のところ 今挿し込めば簡単に果てるだろうほどに先走ってはいる。
が、挿し込んで果てる。それでは己が許せなかった。
この長い沈黙を破ったのは油断が生まれ捉えずに野放し状態にしていた女の右手だった。
家長の甚振りに我慢できず、怒張に手を伸ばし摘まんでワレメに押し当て滑らせて壺に引き込んでしまった。
しまったと、慌てた家長が引き抜こうとしたが、足を腰に絡ませた女はやすやすと怒張を子宮まで送り込んでしまっていた。
あまりに耐え忍び過ぎた。
女の罠にかかり、簡単に放出させられ、その間に女は牢を破って逃げ、庭先で覗き見していた男たちがそれを追った
数時間後、岬のはずれの岩場で若い男衆に摑まり彼らの欲望の限りまぐわいの相手をさせられていた。
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