知佳の美貌録「夜逃げ そして転校」
小学校時代の辛かった記憶に、夕やみ迫る誰もいなくなった公園、寒風吹きすさぶ中 姉弟はふたりっきり公園に残って遊んだ。遊ぶことで家路につくことのできない時間を潰した思い出があると久美は語ってくれた。例えば、誰も乗らなくなった
ブランコに姉弟が隣同志で乗って歌を歌って「帰ろう」という弟を一生懸命引き留めた記憶がであると。その理由が、夕方になれば普通、遊んでいる子に向かって あるいは友達同士でも「もう暗くなってきた ご飯の時間だから」早く帰ろう。帰りなさいと母親はもちろん、周囲の親もそうやって子供たちを健全に育てた。だが、久美たちにはその大切な記憶といおうか安らぎを覚える家庭がなかった。仮に夕やみ迫るころ家に帰ってみても家に明かりは点いておらず食べ物も体を温めてくれるはずの炬燵に火すら入っていない、第一親が家にいないし、いつ帰ってくるのかもわからない。だから、それらを忘れさせるために久美は弟を誘ってひたすら公園で時間を潰させた。弟は帰りたくて駄々をこねたが、その都度久美が何とか上手に言い聞かせ、別の遊びを見つけは公園にとどまらせた。その時間帯の長かったこと。が、こんなにしても肝心の母親は世間と違うことをしていたのを暗に知っていた。餓えて明日の希望さえ見失いかけていたときに、先生は弁当を作って持ってきてくれた。あの幸福な時間は長く続かなかったのである。あの幸せと感じた同じころ、飯場にいる幸吉・好子夫婦のもとに学校関係者、ことに教育委員会から呼び出しがかかった。担任の家庭訪問があった数日後だったとのちに聞かされた。学校に呼び出された好子は「こちらにはこちらの事情ってもんがある」と職員室で久美の前でまくし立て、さっさと久美の手を引いて学校から連れ帰ってしまったものである。学校に対し侘びも礼も言わずにである。ここらあたりが好子のお里が知れるところであるが、ひとつには呼び戻されたことへの激怒、もうひとつには稼ぐ場所を新たに探さなければならなかったことへの不安によるもの だが、散々遊びほうけていたにもかかわらず夫婦して貯蓄などなく久美たちが暮らしていた家の家賃はもとより、お世話になった学校に滞納した授業料など当然といった風に踏み倒すことになる。気ままな生活を旨とした好子たちは子供たちのことより、まず自分たちの立場が先だとばかりに飯場を世話してくれた業界を再び頼って淡路に夜逃げしてしまう計画を咄嗟に立てる。先生はもちろんのこと、教室の誰にも転校のことをつけることなく深夜寝ていた姉弟は突然たたき起こされ、ひっそりと、慌ただしく住んでいた家を抜け出し、親は子供たちに行き場も告げず先を急いだ。こんなこともあろうかと、家財道具などはほとんど持っていなかったから着の身着のまま夜逃げとなった。当時、淡路の港は賑わっていたという。そこに向かうに、艀(はしけ)にはお金がないからどうあっても乗れない、幸い 島に向かう貨物船を見つけ隠れて乗り込んだ。無賃乗船(密航)である。見つかればどんな目に合わされることか、テレビドラマなどでよくやる船倉(船の地下室)に潜んだ。これが久美にとって最初の暗闇の恐怖だった。淡路に着いた好子は早速業界の世話でそれなりの客(旦那)を得た。幸吉が酒浸りで遊んでいてもなんとか暮らし向きが立つ収入を約束してくれる客をだ。が、それは子供の世話に明け暮れるのではなく男の世話に明け暮れることになる。一方久美は、母親が付き添ってくれるわけでもない次に行く小学校に 一人で出向いて転校手続きをさせられた。母親が一緒に行ってくれるとばかり思っていたが、母親が手伝ってくれたのは当日、久美を伴って学校近くまで行き「あれが今度行く」学校だ、自分のことなんだから自分でちゃんと先生に挨拶して入れてもらいなさい。授業料なんかは後で親が持っていくといっていたと伝えなさいと。こう告げて自らはさっさと「お客」の元に向かってしまった。久美は久美で「あの母親なら」と心得ていて、前の学校で使っていたカバンを背負って、前の学校で着ていた制服を身に着け、この学校関係者(生徒ではない)に職員室の場所を聞き、真っすぐ職員室に向かい手続きを済ませた。 違う制服を着た子供が校内に現れたら大騒ぎになることを久美は過去の苦い経験からわきまえていた。 実に白けた悲しい話だが、こういったことがこれから幾度も久美の上に繰り返されることになる。 続く
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テーマ : 飢えと孤独にさいなまされた姉弟はやがて・・・
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