知佳の美貌録「子守が出来ることの嬉しさ」賄いのおばさんが作ってくれたお菓子欲しさに

労務者は手厚い保護のもとにおかれたが、余計な予算を計上しない(女性蔑視、扶養手当・家族手当など義務化無し)など子供たちにとって決して住み心地の良い環境とは言えなかった。
世間から隔絶された世界で追手を欺き住もうと思ったら、もうこういった場所しか無いと考えた末の飯場(はんば)生活であった。
現場責任者のような役目に据えられた学のある幸吉ならいざ知らず、女衒に育てられ労務者の端っくれに加わった好子である。
今掘られているトンネルがダムと農業・生活用水路をつなぐただの水路なのか、それとも高速道路や鉄道のトンネル坑道なのかもわからない。
それほど奥深い山の中で端っくれにとって意味もわからない工事が行われつつある大規模(精神をも圧倒され、訳が分からないほどの規模の)現場である。
今住んでいるところが何処で人々が行きかう街がどの方角にあるかさえも、さっぱり見当がつかないほどの山中の飯場(はんば)で幼稚園や保育園などというものが、この社会にあることさえ知らず久美たち兄弟と母の好子は隠れ過ごした。
ただ隠れなければならないことだけは親を見れば子供心にもわかったという。
友達と遊ぼうにも子供といえは自分たちと賄いのおばさんの生まれたばかりの赤ん坊だけであったし、今まで生活していた街中とはまるで様子が違っていて(工事用道路から一歩脇にそれたら原生林)遊ぶ方法も判らなかった。
それでも久美は女衒の家で住み暮らした時のようにひとり外で遊んだ。
部屋の中にいると、確かに周囲の親父たちはその日の気分によって猫可愛がりしてはくれた。
遊ぶ風を装ってくれたが、弟は素直に喜べても久美には何やら恐ろしい鬼が無理矢理微笑んでくれているように思えてならなかったし、監督たちは土功に向かって久美に近づくなと時々釘を刺してたから余計警戒心が募った。
従って弟は土功連中が住み暮らす部屋で遊ぶことが多くても久美はひとり飯場(はんば)周囲の空き地で、周囲を警戒しながら遊んだ。
昼飯抜きの過酷な生活
飯場(はんば)には決まりがあって土功達は仕事に手弁当で出かける。
もちろんこれは賄い婦が作り置きしてくれていたが… この慣習は行き来の間に逃亡するものや、それを言い訳に働こうとしない輩が横行するからで、たとえ現場が近い者たち(坑道入り口付近で働く輩)であっても炊飯班が現場まで車で飯を運び、そこで昼を摂らせた。
10時と15時、或いは22時のおやつ(労働の間の間食)の類もも同様であった。
そんなだから飯場に残された自分たち子供は朝と晩しか普通にご飯を食べる機会に恵まれない風(休みに入ってる土功は食えた。 喰えないのは子供、つまり今でいう弱者救済・扶養などという支出はなされなかった)になってしまっていたのにである。
夜勤明けの者たちでさえ、帰り着くのは昼近くになるため帰る前に飯場(はんば)で食ってから帰る。
帰れば肴をあてに酒を飲み寝る。
深夜勤帯の作業員に対しても同様(現場に必要分を遅滞なく届ける)であった。
だから小屋に居ても食堂では女・子供に昼は何も出してくれなかった。
おまけに大人の集団なものだから酒肴はあってもお菓子のようなおやつ(間食)などありはしない。
育ち盛りの久美にとり、ご隠居のなんとありがたかったことか。
そんな久美たちが飯場(はんば)に慣れたある日のこと、賄いのおばさんが久美を手招きした。
用事が済むまで赤ん坊の子守を頼むと言われた。
それこそ有無を言わさぬという強い口調だった。
久美は小 学 校に通う齢にもなっていない、しかも半ば栄養失調みたいな、晩秋の立ち枯れ始めた小枝のような心もとない骨格の女の子にである。
生まれたばかりとはいえ、結構丸々と太った赤ん坊を背負わされるわけである。
それも簡単にほどけないよう背負い紐(昔は幅5センチほどもあろう綿入りの分厚い帯状のものが使われた)を普通は胸元で結ぶが警戒してか後ろで結びつけてである。
それがいかに酷なことか。
痩せ枯れた小枝にこれでもかと相撲のまわしをキツク巻き付けたのごとくであった。
背負った赤ん坊は何かにつけて泣きわめく。
手足をバタつかせるとおんぶ紐が幅広とはいえ肩に食い込んだ。
それをあやしながら延々担ぎ歩き回るのである。
時間になれば襁褓(むつき おしめのこと)を替えなければならない。
大人の所作を真似、どこかの段差のある場所を探し、そ~っと子供を下ろし近くを通りかかった大人に紐を解いてもらいそれをひとりでやり終え、また背負わせてもらった。
賄いのおばさんは自分の子供をこのようにして久美に預けている間に、あの好子が漢たちと情を交わした山道を背負子(しょいこ)を背負って徒歩でいくつもの山を越え、街に買い出しに出かけた(そう教えられてきた)のである。
朝食の後片付けが終わると急いで出かけた様子だが、汗まみれになって帰ってきてくれたのが奥山の日暮れ時、夕方4時にも近かった。
疲れ切った様子だった。
それでも久美のことを大変褒めてくれ、今思えばクッキー様のもの
-- クレープかマーフィンかなにか今となっては定かではないが --
とにかくこの時代としては珍しい乳製品でも混じっていそうな味のお菓子を焼いてくれた。
とても美味しかったし、久しぶりにお腹を空かせた弟にお菓子を分けてやることが出来た。
それからの久美はいつ賄いのおばさんが買い物に出かけてくれるのか、四六時中おばさんの後をつけまわすことになる。
残念なことに帰りが遅くなり夕食の支度に間に合わなくなった時だけはお菓子は出なかった。 だから久美は、帰ってきてくれる時間が3時過ぎであることを、とにかく祈ったという。
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