姦通の喜びを知った母娘
帰らぬ紗江子をひたすら待ち続ける、その混乱と空虚の入り混じった時間に、皮肉なことに改めて過去を振り返る時を持つことができた。
今の連れ合いと結婚する前、貞子は身分違いの男と恋愛関係にあった。
手を繋いだり、物陰に潜むようにして抱擁し合ったりする程度の淡いもので、結局双方とも決心に至ることなく、親の反対意見に押し流されるように別れていた。
生まれの貴賎、そのことで自暴自棄になったとき、その心の隙間に入り込んで、強引に身体の関係を結ばれて今の夫と仕方なしに結婚したのだった。
最初に付き合った恋愛関係の男と並んで歩く姿を、遠くから苦々しく盗み見していた今の夫は、だから貞子が恋人と別れたと知ると、まるで途方に暮れる女に癒しを与えるかのように目の前に姿を現すようになり、ある日の午後心の揺らぎを見透かされ付け入られて奪われた。
別れなければならなくなったときと女の時期が重なっていたことを、午後の野辺で今の夫に割入られて初めて気づかされた。
付け入られるようなそぶりを、今の夫に婚前にも、ましてや結婚してからも見せたことはないと、今でも貞子は思っているし、自身もあった。 いや、確信できたつもりでいた。
ところがそれが、今回紗江子を土工の少年と思われる男にさらわれ、彼らにしてみれば女としての自分と娘のどこかに熟れた部分が垣間見えたからこそさらわれたと思えたとき、その自身が揺らいだ。
彼は母娘にその時期が来ていると、どこかで気づいたんだと思う。
そうでなければその場で、純一と絡んでいたその場所で共に紗江子はリンチにかけられ、離れ付近にボロ雑巾のようにされ捨てられ転がっているはずであった。
考え込むうちに、ある思いに至った。
爺様との情交に至った日のことだった。
幼かった紗江子に乳をふくませる。
その姿に母性と、もうひとつ女が芽生え始めていたことを爺様はどこかで見て、感じて近寄ったのではなかろうかということだった。
「肥立ちはどうか」と聞かれた時、産後の体調はどうかと、まるで医療関係者に聞かれたような気がした。
尻をしゃがんで見られたとき、思わず広げて見せていたのもこのことからではなかったろうか。
幼子に乳をふくませるたびに、次第次第に乳首を強く吸われ、その痛みがやがて子供の巣立ちを伝える。
紗江子はあの時確かに強く吸っていて、乳首はその刺激に堪えかねひび割れて血が滲んでいた。
子供の巣立ちはすなわち次の子を孕む準備が整いつつある時期でもある。
その時期、男が自然体で脇に近寄ってやると次の子を孕むため、我が子から離れ、男を追うようになる。
追わせてしまえばワレメが勝手に男を迎え入れるべく潤むことに爺様は気づいていたんだろう。
時期も時期、身籠って半年も過ぎるころから夜の生活を断るようになっていった。
妻が抱けなくなった夫は仕事と称して夜の街で水の女と関係を結ぶようになっていった。
貞子とすれば、苦々しい反面、都合は良かった。
浮気ではない、遊びなんだと心に言い聞かせ耐えた。
だが、妊娠後期 夫婦の行為は控えめにと言われながらも貞子の気持ちは、実のところ治まらなかった。
腹圧がかかればワレメも始終開く。
そこから覗く部分がともすれば何かと擦れ火が着いたが、恥ずかしくて口にできなかった。
思えばこの頃から、欲しくても我慢する日が続いていたのだと思われた。
出産後まもなく、夜の床で子供をあやしている最中に求められたことがあった。
その時は、産後の経過が思わしくなく行為ができる状態になかったが、気持ち的には久しぶりの夫に来てほしかった。
ところが、出産で荒れたワレメを一見しただけで夫は気持ち悪がり、萎え、逃げた。以降手を差し伸べることすらなくなった。
子育ての疲れに加え寝不足で、心身ともに疲れ切っている最中であっても、溜まる物は溜まる。吐き出すため、夫は風俗と見られる女と手を切ってくれなかった。
苦しむ妻を置いて、夫は連日どこへやら出かけていって数日は帰っては来なかった。
再びも三度も耐えるしかなかった。
不信感と、持って行き場のない苛立ちだけが残った。
爺様がひょっこり現れたのはこの頃である。
身勝手な夫と結婚するきっかけとなったときのように、爺様はたとえ面倒な愚痴でも時間をかけて聴いてくれていた。
陽も暮れかけているというのに、時間を忘れて話し込んでいたこともあった。
その胸にすがるのに、それほど時間を要しなかったと思う。
傍らで十分に乳をふくみ、すやすやと我が子が寝た隙を縫って、爺様はまるで子供をあやすかのように子守に疲れた人妻の身体を抱き寄せゆっくりと割入って挿し込んだ。
夜ではない、昼日中のことである。
なぜに挿し込みを許したかと問われれば、それはおそらく愚痴を聞いてくれた爺様へのお礼ではなかったろうかと答えるしかない。
夫に見放された女の、どこかに守るべき貞操があるとも思えないほど夫婦仲は冷え切っていた。
挿し込みを許してくれたことへの爺様の感謝の体現こそ、逆にお礼を言いたいほどだったと、あの時は思って割入りが始まった後も表面的には抗いながらも身を任せるべく逃げなかった。
爺様は実に手馴れていた。
挿し込みが始まると緩やかに母である部分が消えうせ、逆に今こうなってしまっては困ることになる女の部分が爺様によって開かれていったような気がした。
その絡み合いがある時期に差し掛かると、どんなに抑えようとしても次から次へと身体中に火が回った。
子守をする母に向かってではなく、当初から母の任にある人妻を女に貶めて抱きたくて近寄ってきていたことに気が付き、抗ったはずであったが、爺様はそれを逆手にとってオスの発情に替えて行為を断行した。
押さえ込まれる中で、家や子供を護ろうとする鬼子母神の心とは反対に身体は男を得て般若の如く燃え始めていたことは確かだった。
久しぶりに男根が割入ってくれたことで常軌を逸していった。
こうやって冷静に考えれば爺様が懸命に火をつけようと身体中の、ありとあらゆる性感帯をいじくりまわして女にしようとしていたのではないかと思われる。
だが実際には爺様と繋がってしまったという既成事実に不貞行為を犯したという罪深さが加わって姦通の喜びを知ってしまったことがより大きかったというほかない。
初体験で夫が恋人から身体を奪おうとした時のように、爺様によって夫から再び奪われた時、えも言われない昂ぶりに身を揉んだ。
彼ほどに不貞・不倫というものは気持ちも身体も揺さぶるものなのかと、この時ほど思ったことはなかった。
上にのしかかる男を振りほどいてほしいと、脇に控える夫に懇願する一方で、もっと貫かれる様子を近寄って見てほしいとも願う自身がそこにいた。
寝ている子を起こさぬように声を爺様の手や唇で殺されつつも、我を忘れて泣き叫び爺様にしがみついていたことを、今になっても想い出して燃えることがある。
発情期にあっては他から奪われる状況になれば、そのスイッチさえ入れられてしまえば相手が誰彼というのではない。
火が着けば、もうそこからは誰であっても関係はなかったような気がした。
紗江子も、恋人の目の前で犯されると、その罪悪感と卑猥な嬌態になお燃えてしまったのではなかろうかと思った
思えば紗江子のその時期に合わせて姦通の火をつけてしまったのは母である自分自身ではなかったろうかと、娘が失踪した今、それが悔やまれてならなかった。
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