親と子
紗江子は依然として帰ってこなかった。
紗江子が消えた当初から、思いつく限りの足取りを追ってみた。
貞子は砂防堤の工事現場に何度も足を運び土工の少年を探したが、紗江子が行方不明になった前日から姿を消したまま出勤していなかった。
元々アルバイトに毛の生えたような便利屋的な扱いしか受けておらず、期待はしていなかった。
仕事に出ようが出まいがさして生活に変わりはなかった。
それにも増して、現場で働く仲間・・と言えるのかは別にして、少年い期待など持ち合わせていなかった。
だからこそ余計に荒んでいたのだろう。
何処で寝ているやらわからないような生活を、もう中学の低学年の頃から送っていたのである。
それに付き合わされた紗江子もまた、野宿同然の生活を送っているとみられた。
警察や消防団に頼もうにも、貞子自身少年と知り合うことができた、その事情が事情だけに躊躇した。
ただひたすら、無事に帰ってくることを信じて待つしかなかった。
こんなことを言ってはなんだが、
純一ならその時のことを話してくれるかもしれないと、身勝手な考えで離れを訪ねたが鍵が掛かっており、案の定部屋の中のものはきれいに運び出されていた。
ここ数日、誰かが住んでいた気配すらなかった。
おそらく襲われた翌日には親から厳しくとがめられ、母屋に移って生活しているのだろう。
最後の望みすら断ち切られ、どこをどう歩いて帰ったかも覚えていない。
灯りに消えた暗い部屋で、ただぼんやりと待った。
探しつかれ、諦めかけた夏休みも明日で終わろうという日になって、紗江子はボロボロの身なりで帰ってきた。
土工の少年に廃村の中を連れ回され、唯一焼け残った小屋と、その周辺を逃げ回りながら野宿をして過ごしていたという。
紗江子や純一を襲った時には恐ろしいほどの腕力を発揮した少年も、夏の日照りと空腹のためほとんど動けなくなり、木陰から木陰へと渡り歩きながら逃亡していたという。
純一に暴力をふるったと言えども、そこは少年の一時の感情、警察に追われるかもしれない恐怖から咄嗟に逃げ出したらしい。
何処へ逃げようにも、開けた場所を目指したら簡単に見つかると思い、人の立ち入りがほとんどない廃村を目指したと言った。
結局山越えして辿り着いた廃村近くの小屋で動けなくなり、小屋に残されていた非常用食料を食べ尽くすと、野草などを口にしながら命を繋いだという。
たまたま生きて帰れたのは、紗江子の発した一言からだった。
学校が始まるから帰ると告げると、一緒に村に連れて行けと言われ、少年を引きづるようにして村に引き返してきたと言った。
村に辿り着くと、辺りの畑一面に夏野菜が実っていた。
少年はそれを思う存分口にして、這う這うの体で廃屋のようになった生家に辿り着いたという。
「あのねお母さん、あの人の家にはもう食べ物なんて何も残ってないんだよ。何か作ってあげたくても味噌も醤油すらないんだ」
少年の置かれた現実を目の当たりにして、紗江子は逃亡して以降、初めて泣いた。
「裏山から枯れ木を拾い集めてきてお湯を沸かし、それで身体を拭いてあげたの」
紗江子は少年を布団を敷いて横にさせ、寝付くのを待って帰ってきたと言った。
「大丈夫よ。お母さんが明日朝早く様子を診に行って、ついでに食べ物を届けておくから」
言い聞かせて初めて紗江子は貞子が沸かした風呂に向かった。
着て行った服は洗濯してもとても使えそうにないので紗江子が風呂で着替えを済ますと捨てた。
飢餓状態の人間に一気に食べ物を与えると命に係わる。
そこで貞子は炊き上がっていたご飯をおかゆ状に柔らかくし、ほんの少量与えて寝かしつけた。
親子ふたり、久しぶりにひとつ屋根の下で熟睡することができた。
二学期が始まっても紗江子は立ち上がることさえできなくなっていた。
若いとはいえ、よくぞここまで帰ってこれたものだと、貞子は神に手を合わせたい気持ちになった。
紗江子に、土工の少年お家を聞き出し、お見舞いがてら食事を届けに行った。
都会と違って周囲の目が光っている。
貞子は移動に車を使わず、脇道を潜むように歩いた。
少年お家はかつては庭であったろう所が人が隠れてしまうほどの丈の夏草に覆われていた。
家は傾いで玄関戸も開け閉めできないようになってしまっていた。
貞子が嫁いだころ、確かに妙な噂を聞いたことがあった。
小作だった少年の家は周囲から冷ややかな扱いを受けていた。
いたたまれなくなった父親が最初に出稼ぎに行くと家を出て帰らず、残った母親は村の誰かの手籠めにされ、捨てられたことで村にはおれなくなり、足手まといになる子を置いて夜逃げしたという。
だが誰も、夜逃げするこの家の女房を見たものはいない。
薄情なことに、手籠めにした男は名乗りを挙げなかったばかりか、村人も誰それとわかっていながら知らん顔をした。
女を探そうともしなかった。
我が子を、こんなところに置き去りにして出て行った親はどんな気持ちで逃げたのだろうと思った。
爺様の野辺送りが済んだ後のことを思い出していた。
村人は、酒の勢いを借りて募り募った欲情を吐き出し始め、集団で街から来た女を追って拉致したことを思い出した。
紗江子のことがあって初めて、女の失踪の原因が家出ではないのように思えた。
行き場を失った女の財産と身体を巡り、村人の欲望という名の集団心理が働いたのではないかと疑った。
学業に身を入れず、男と遊んでばかりいた紗江子でさえいなくなった時の例えようもない不安感は、子を産んだものでなければわからない。
一生懸命、家の手伝いをしたという少年を置き去りにする母だとは到底思えなかった。
幼い頃からろくな生活をしてこなかったことが幸いしたのか、少年は比較的元気を取り戻していた。
貞子が運んだ食事を、喜んで食べてくれた。
少年以外、誰も棲まなくなった家は荒れ果てていた。
貞子は食事を届けたついでに、部屋を小奇麗に掃除して帰った。
着替えがなくてはと、夫の着古しの中から比較的若作りの服を選んで持って行って着替えさもした。
紗江子が元気を取り戻し、学校に出かけて行った日、少年もまた仕事に戻ったらしく、食事を持っていったが留守だった。
「おかしいわねぇ。仕事に出かけるなら書置きぐらいしてくれたらいいのに・・」
貞子は仕方なく、メモを残して立ち去った。
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